Visualの限界

Windows 95の夢はもう帰らないという記事でWindows Vistaが紹介されていました.何気に,Vistaの画面を見るのはこれが初めてです.


この記事には,共感を覚える部分が結構多かったのですが,その中でもこの部分はやけに納得できたので,今日はそのことについて.

お祭りイベントのデモという性格上、見栄え重視の派手なものにならざるを得ないことは理解しているが、たとえばタスク切り替えを3Dグラフィックスでわざわざ見せる必要があるのかどうか、筆者にはピンとこない。


少なくとも、毎日使用する日常の道具にそれが求められているのか疑問には思う。それはWindows XPを「クラシック」ユーザーインターフェイスで使っている年寄りのたわごとなのかもしれない。だが、RPGの戦闘シーンだって、派手なアニメーションを毎回見せられると(そしてスキップできないと)いいかげんイライラしてこないか。

私も,似たような感想をWindowsXPの時に抱きました.WindowsXPを買った当初は,Lunaインターフェイスの目新しさが気に入り,しばらくはずっとそのインターフェイスWindowsXPを使っていました.しかし,1ヶ月もすればその見た目に慣れてしまい,次第に動作が重い(特にコントロールパネルの)設定アイコン等が隠蔽気味で使いづらいといった欠点ばかりが目につくようになり,結局クラシックスタイルに戻してしまいました.


上の記事でも触れられていますが,これは,現在のゲームにも同様のことが言えるのではないのかなと思います.確かに,最近のゲームのグラフィックはその質が驚くほど向上し,初見では思わず驚いてしまうようなゲームもかなり増えてきています.しかし,その驚きや感動が40時間(RPGをクリアするまでの一般的なプレイ時間)も続くことは考えにくいです(もちろん,個人差はありますが).そして,人々がそのグラフィックに慣れてしまうと,徐々にそれがその他の部分への不満と変化していき,最終的には最近のゲームはグラフィックだけと言った風評を生み出してしまいます.


実際のところ,少なくとも私は,昔のゲーム(良く出る例として,FFIVFFVI)に比べて今のゲーム(例,FFX)が,シナリオやシステム面においてそこまで劣っている訳ではないと思っています(むしろ,勝っているのではという部分すらある).しかしながら,グラフィックの出来の凄さによって,人々の期待度が必要以上に高まってしまうため,多くの人々にはそのように見えてしまいがち(今のゲームは,シナリオやシステムがダメ)です.Smple−憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記−の面白い作品を薦めることは難しいというエントリで,この期待度と作品の出来の関係を分かりやすく説明されています.

感情とは、現実と期待のギャップにある。自分の期待以下だとがっかりしたり悲しんだり、つまらなく感じる。逆に期待以上だと、幸せを感じたり、面白いと感じたりする。


・・・(中略)・・・


友達でも誰でも、「絶対面白いから!」と言って薦めている作品ほど、つまらない場合が多い。そんなに面白いのか、じゃあ見てみよう、と思って作品と接すると、「期待している状態」の水準が上がってしまい、面白いと感じるための「ギャップ」がなくなってしまう。そして、期待を持ちすぎると、あまりにも作品がつまらないと感じられてしまう。


面白い・面白くない、という判断が、作品そのものの出来や個人の好みではなく、個人が抱く期待にあるところがポイントである。

以上のように,人々の風評には,この期待度と現実の作品のギャップが大きく絡んできます.音楽アーティストであれ,作家であれ,一旦ブレイクすると,その後の作品は全然ダメになった.初期の頃の方が良かった.と嘆く人が続出するのも,この辺りが原因の一旦となっているのではないかなと思います.


話がそれましたが,結論としては,人々の驚きや感動を長期持続することが難しいようなグラフィック部分を向上させて,必要以上に期待感を煽るのは危険ではないかなぁと.