「コミュニケーション」への絶望

今日はこの辺りの話題.関係ないですが,この手の話題って盛り上がるんですね.

  • 「コミュニケーション(意思疎通)」という言葉に「フツーに要領よく生きる」という意味だけを与えてるのっておかしくないですか?
  • 「フツー力」が有用なのはともかく、それが少ない人はそんなに駄目人間ですか?
  • じゃあ非コミュはどうやって生きていけとおっしゃるの?
http://d.hatena.ne.jp/utsutsu/20060423

``日本人同士で意思疎通を図る(コミュニケーションをとる)''ということを考えた場合,日本の伝統(そんな大げさな話でもないですが)などを考えると,それができる能力とは``相手の顔色を伺いながら角が立たないように会話を進める''能力であると言えそうです.なので,コミュニケーション能力が``フツーに要領よく生きる''能力と解釈されているとしても,それなりには妥当ではないかなと思います.

もし,ここで``そんな低俗的な能力だけではないはず''と感じるのならば,それは``コミュニケーション能力''という言葉を神格化しすぎているのかもしれません.

コミュニケーション能力、この万能の言葉は何を定義しているかすらよくわかりません。そもそも定義可能なのか。あくまで就活で問われる「コミュニケーション能力」に限ったところでみたって、「実際のビジネス時に役に立つであろうコミュニケーション能力」くらいのことしか言えないでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/utsutsu/20060423

コミュニケーション能力,この万能の言葉は何を定義しているかすらよくわかりません.そのため,人はややもすると``きっと素晴らしい能力に違いない''と言う思いに囚われます.その結果,``コミュニケーション能力''という言葉に``フツーに要領よく生きていく力''といったような``低俗的な意味''が当てられていることを知ると,自らが抱いていたイメージとのギャップに絶望し,``そんなの本当のコミュニーション能力じゃ・・・''という思いを抱いてしまったりします(本当の○○○).

このような場合には,一度諦めてみるのも良いかもしれません.残念ながら,``コミュニケーション能力''とは私達がかつて夢見ていたような万能で崇高な能力ではありませんでした.しかし,だからこそ決して``身につけられない能力''ではありません.人が``間違ったことを言っていた''としても,その場を乱さないように適当に笑っておくとか,適当に好きだの嫌いだの言って騒いでおくとか,私の一存では決めかねますとか,前向きに検討いたします,とか.少し気をつければ何とか身につけることができそうです.

最後に,``能力がない''のか``能力を身につけたくない''のかを一度考えてみると良いかもしれません(``実につけたくない''事が悪いと言っている訳ではない).それによって,選択肢もまた変わってくるのかなと思います.