ある問題を議論する際のテクニック

読んでいてなかなか面白かったので、紹介します。

東京大学教授の苅谷剛彦が、『知的複眼思考法』(講談社 2002p.243-246)で、「禁止語」を勧めている。禁止語とは、ある概念を表す言葉を使用禁止にすることである。苅谷は、「生きる力」「報道の自由」「個性」などを例としてあげて、「こうしたキーワードは、容易にマジックワード(魔法のことば)に変わる。つまり、魔法の呪文のように、人々の考えを止めてしまう魔力をもっている」と述べている。

こうした言葉には、「なんとなくわかったつもり」になる効果がある。「活字離れ」も同様だ。概念や言葉だけが独り歩きして、もともとの問題がなんだったのか、わからなくなる。

物事を考えるときには、禁止語を設定し、その言葉を別の言葉に置き換えてみると、それだけで別な視点から考えることができる。

禁止語のススメ

いつの時代にもマジックワードと呼ばれる言葉は数多く存在します。ここ最近ですと、「経済格差」とか「ゆとり教育」とか、あとこのブログで以前話した内容だと「コミュニケーション能力」などでもそうでしょうか。こう言った単語は、マジックワードと呼ばれるだけあり、何となく、そこに存在している問題をうまく言い表しています。しかし、こういった言葉には時にトラブルを招きます。

ここで、「活字離れは日本をダメにする」の「活字離れ」という言葉を使用禁止にしてみたい。何人かが集まって、議論したとする。「活字離れ」という言葉が使えないと、どういうことが起こるのか。

(A)「最近の人は小説を読まなくなった。これは日本をダメにする」(小説離れ)
(B)「最近の人は本を読まないので、教養が身についていない。これは日本をダメにする」(読書離れ。教養の没落)
(C)「最近の人はテレビや漫画ばかりみている。これは日本をダメにする」(他の文化の発展による、活字文化の相対的価値低下)
(D)「最近の人はテレビのニュースばかりで、新聞を読まなくなった。これは日本をダメにする」(政治・社会への無関心)

おそらく、このように、同じ「活字離れ」の問題について議論しようとしたのに、お互いに違う事柄を問題にしてしまうのではないだろうか。こうしてみると、さて、「活字離れ」とはいったい何のことをさしていたのだろうか、という疑問がわいてくる。

禁止語のススメ

マジックワードを使っていると、しばしば、実は扱っている問題に微妙な差異があったということが見られます。この時、各人がその差異に気づかずに議論を行った場合には、議論が荒れる一因ともなります。マジックワード化しているほど騒がれている問題を考えるときには、一度その言葉を「禁止語」にして、しばらく日常の生活を送ってみると良いのかもしれません。