類は友を呼ぶ -- なぜ過激な主張が盛り上がるのか

先日暇に任せていろんな要望に投票しまくって楽しんでたんですが、その中で一番印象に残ったのが”ギャル文字を規約で使用禁止にして欲しい”というもの。


気持ちは分かるけどねぇ・・・と思いつつ反対票を投じたのですが、投票してから賛成票の方が多いことに気づいて驚きました。


なにぃ!?と思い、賛成票を投じている人のコメント欄を見てみたらまたまたびっくり。


みんな大真面目に、ぜひそうすべきだ!と主張してるのです。


日本語は正しく使うべきだから禁止、不快だから禁止、目障りだから禁止、意味が分からないから禁止、等々。


べにぢょのらぶこーる:ミクシィで”w”の使用が禁止されるという悪夢

なかなか面白い話題でした.マナー云々について話してもいいのですが,言いたいことはマナーの権威付けのエントリで大体言ってしまったので,今日は違う視点から.

マナーとか常識に関するエントリを目にしているうちに,日常生活でもそういった話題に敏感になってきているのですが,そこで一番感じたことは,人はややもすると“普通○○○だろう?”と言いたがるのだな,ということです.意識的なのか無意識的なのかは分かりませんが,会話をしていると結構な頻度でその言葉を聞きます.

人には多かれ少なかれ,自分が思っているよりも実際には多様性を認めていない,という傾向があります.そのため,自分の中の価値観と異なるものに出会うと,自分の価値観が普遍であるものと錯覚して先に述べたような言葉を発してしまいます.これが,通常の会話であるならば,その影響範囲は高々その会話に参加している人達だけです.その言葉に賛成して愚痴大会になることもあれば,はいはいわろすわろすとスルーされることもありますが,どちらの場合でもその場で話は終了します.

ですが,これがWeb上になると少し話が変わってきます.BBSなりblogなり,Web上で発言をした場合にはその発言は非常に多くの人の目に止まります.そのため,上記の日常会話と比較して影響範囲は非常に広いものとなります.その結果,多くの同類を呼び込み,ただの愚痴大会では済まない規模まで大きくなっていきます.

ネットが普及するにつれて“困った人”が増えたという話を良く聞きますが,個人的にはこの主張は必ずしも正しい訳ではないように思います.どちらかというと,日常生活ではただの愚痴で終わるようなものが,なまじ皆に見えるために同じ愚痴を呼び寄せてしまう,という負の連鎖がWeb上では起こりやすいためではないかなと思います.

どちらにしても,問題にはなるのですが・・・