サザエさん的ゲームが必要とされている

14日にWiiの発表会があったようで,それに関連する記事やblogが数多く目に付きます.あまりにも絶賛の嵐で何だか気味が悪いなというのが正直な感想ですが,それはさておき.

以前にも書きましたが,私の世代は,グラフィックの進化を“実感”して遊んできた世代でした.DQV,VI,FFIV〜VIとシリーズを重ねるたびに,まずそのグラフィックの進化に驚いたものでした.この進化は,FFVIIIでピークに達します.FFシリーズの中でも酷評の絶えないFFVIIIですが,最初にゲーム画像が公開されたときのインパクトは相当なものでした.

しかしながら,それ以降はグラフィックに対して,それまでの驚きや感動を覚えるほどの飛躍的な向上が見られることは少なくなりました.一方で,グラフィックを向上させるのに必要とされる費用は増加しつづけ,費用対効果はどんどんと低下していきます.さらに,その現状を打破する策を出しあぐねているうちに,ユーザの頭の中に“グラフィックだけ”という意識が定着してしまい,ゲーム離れを加速させることになります.

これまでのゲームを語るときによく出る問題点として,“グラフィック偏重で他の要素(システム,シナリオ)は軽視されていた”といものがありますが,どちらかというと“(偏重されていた)グラフィックの進化が限界を迎えた”からではないかな,と思います.仮に,FFVIII以降もそれまでと同様のインパクトを与えられるだけの(グラフィックの)進化を続けることができていたならば,現在の批評も違ったものとなっていたような気がします.

少し話しがそれましたが,本題.

これまでのNINTENDO64ゲームキューブの時との違いといえば、どちらのゲーム機も、いまのゲーム人口拡大という方針以前に計画されたマシンだし、当時はより豪華で、よりすごいゲームを作ればゲームユーザーは拡大するんだという、過去のゲーム神話に基づいて設計され、作られたマシン。

・・・(中略)・・・

すると社内でもラジカルな人が飛びついてきて、その結果、積極的に新しいことをやろうとする人が主流になってきた。以前は性能が低いと負けるんじゃないか、という人もいたが、最近は新しいことをやっていくとこんなに楽しいのか、というようになってきた。

戦っているのは“ユーザーの無関心”――岩田社長と宮本専務との一問一答

任天堂は,グラフィック(を進化させる道)を捨てて,他の要素で勝負することになりました.幸運にも,脳を鍛える〜が新たな道筋を示してくれたこともあり,その決断は成功しそうです.しかしながら,ここで気になるのは,“新しいものを求める”というスタンスは変わっていないことです.

格闘ゲームにしろ、RPGにしろ続編を作るには何かしらの進化がないといけないわけだ。前作より、何かしらの進化がないと、購入意欲には結びつかない。

このビジネスモデル自体が、矛盾を抱えている。技術的にも、アイディア的にも、遊ぶ側の余暇時間の点においても、限界がある。破綻するに決まってるじゃないかw

何十年も、息が長い感じでやっていくには、サザエさん水戸黄門のように進化を排除して、大いなるマンネリをユーザーに楽しませるスタンスでやってかないと無理なのだ。

ソース元は忘れてしまいましたが,どこかの掲示板で書き込まれたコメントです.先にも挙げたように,現在はNintendoDSの成功によって新たな道筋が示されています.しかし,その道もいつかは進化の限界が来るでしょう.その時に,本当に次の新しいものは生まれるのでしょうか.次の新しいものができなかった場合,第二,第三のソニーにまた主権を奪われしまうことは必至です.

確かに,新しいものも必要です.ですが,現状で必要とされているものは,新しく開拓したユーザに“大いなるマンネリ”を提供できるゲームなのでは,と思います.

# そういった意味では,マリオやテトリスポケモンも?)などは重要だなと思います.脳を鍛える〜もうまくマンネリ化できるか,が鍵になってきそうです.