どこまで他人を叩いても良いのか?

「先生は『金を稼ぐために何をやってもいいというのはおかしい。社会のルールではやってはいけないことだ』と話していたのに、受験のためには何をやってもいいというのと同じではないか」と批判する。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061030-00000008-mai-soci

他人を批判している人が,“人のこと言えないじゃないか”と逆に批判されるケースは良くあります.特に,その批判の仕方が過激であったり,何か偉そうだったりと癇に障るような言い方(この辺は聞き手の捉えかたによっても変わるので難しいが)の場合には,何かあったときに自分に跳ね返ってくる批判も大きなものになります.

大多数の人は,完璧にルールを守って生活している訳ではありません.程度の差はあれ,どこかでズルをして生きている,と思います(そんな事はしたことない,と言い切れる人は,よほどの人格者か盲目か).では,そういった人達は他人を批判する資格はないのか,と考えるとそうではないと思えます.ほとんどのもの(制度,企業体制,etc)は形骸化など様々な理由で放っておくと濁っていきます.そのため,ある程度の批判による掃除は必要です.そんな時に,上のようなことを気にすると誰も批判することができなくなります.

法律は常に不完全に執行されます。死刑囚がちっとも死刑執行されないのだって、本当は法律違反だけど、「絶対に法律を守れ」という人は多くない。ではそのような人は、法律の曖昧な運用について批判する資格を持たないのか。そうではないだろう、と。なぜ、そうではないのか? これは難しい問いだが、ようするに、多数派がそれでいいといっているんだ、と答えれば話はスッキリする。

一貫性を他者にばかり求めても

自分は完全に潔癖に生きている訳では決してないけど批判はする,というスタンスは(私自身も含めて)何か不快な感情が沸いてきますが,しかしそれは必要ともされている.問題は,そのバランスなのでしょう.各人にとってのそのバランスは,果たしてどうやって探れば良いのだろふ,と上の記事や世間の妥協点はどこか?-- 高校履修不足問題,あるいは今回の未履修問題に関するやり取りを見て思いました.