近畿大学(本部・大阪府東大阪市)物理学コースが運営するホームページ上に、「フリーターやニートになっては人生台無し」「新卒で就職出来ていない人は欠陥品」などと書かれた就職担当の講師の文章が掲載され、外部からの指摘で削除されていたことがわかった。同大学は「あくまで在学生を対象に、これから就職活動に臨むにあたっての奮起を促す趣旨だったが、誤解を招く表現があり、申し訳ない」としている。
少し気になった記事です.紹介されている文章を読むと確かに表現は過激ですが,一方で,自分の本意がどこにあるのかとは関係なく,世間からはそういう目で見られてしまうということも,ある程度は事実ではないかと思います(“君がどのように言い訳をしようと、社会は欠陥品と見ます”のくだりはその通りではないかな,と思ったりする).それにも関わらず,クレームが来たので即座に削除するという流れは,有用なコンテンツを失いかねないのでは,と感じました.
そんなことを考えているうちに,似たような議論が起こっていました.
自分にとっては「あのはてなちゃん」の下着が見えていて、そこに文字を入れるというのは耐えられなかったわけだけど、ネタとして楽しめる人もいるわけだし、ブックマークコメントにも削除を惜しむ声もあったわけです。
ある人がコンテンツを作成したところ,それが受け入れられずクレームを書いたところ即座に削除されてしまった,という上の記事に近い内容です.面白いと感じるところは,クレームを出した本人が,コンテンツが削除されたことに対して批判(とは少し違う?)しているところですが.ただ,hxxk.jp:転載をするなとは言わない。するのなら、出自を明記して改変などせずに転載して欲しい。それだけ。の事件でも,“謝罪やエントリの削除やサイトの閉鎖やテンプレートの使用停止などは、私の望むところではありません。”と表明しているように,そう思うことはあまり珍しくないのかもしれません.
コンテンツを消してしまうかどうかはそのコンテンツを製作した人の自由であり,批判やクレームによって被る諸々のダメージを考慮すると,そのコンテンツによって明確な利益が得られる場合やよっぽど何かを伝えたいという強い気持ちが存在するような場合でもない限りは取りあえず引っ込めてしまう,という選択肢を取るのも仕方のないことだな,と思います.ですが,それでも何とか思い止まってもらえないかな,という気持ちも強く存在していたりします.
ふと,閉鎖する前に考えてほしいことというコラムを思い出しました.最初に読んだときは,こういった問題に関してはあまり何とも思わなかったのですが.
最後に,コンテンツが消されてしまうとどうしようもない以上,批判する側が気をつけるというのが,せめてもの対抗策かな,と思います.同じ内容の批判でも,文章によって相手に受け取られる印象はかなり変わってきます.批判文を書こう,と思い立った時点では感情的になっている場合も多いです.なので,そのコンテンツを削除させる,というのが目的でない場合は,一度冷静になれるまで時間を置き,使う言葉に気をつけながら批判文を書くと良いのかな,と思います.
まとまりが悪いな,と感じるのは解決策が示せないからか.