実名である必要はない識別できれば良い

今日は、実名・匿名に関する話題。

このようにウィキペディア日本版の質が悪い原因は、ウェブで匿名が当たり前になっていることが影響していると思われる。歌田明弘氏によれば、アメリカのブログの8割は実名だが、日本の9割は匿名だという。日本でこれほど匿名性が強い原因は、実名で発言すると会社ににらまれるとか、友人にきらわれるなど「評判」が傷つくことを恐れているからだろう。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/47db22512dc2fe36b22b7596361760b9

アメリカのブロガーが、どういう意図で実名を使っているのかは分からないですが、インターネット上で行動する上では、多くの人にとって、実名は大した意味は持たない、と思います。例えば、私はclownというHNを使っていますが、その代わりに本名を名乗ったとしても恐らくは何も変わりません。それは、(少なくとも現状では)私の本名に大した価値がないためです。「安部晋三」や「西村博之」など現実世界で有名な人ならば、実名を出すことにはそれなりに意味があります。ですが、私を含めた多くの「日本人A(B、C、...)」にとっては、実名であろうがHNであろうが大した違いはありません。その意味で、実名にこだわることはあまり好ましくない、と思います。

問題なのは、識別できるかどうか、なのではないかと思います。2ちゃんねるで問題なことの一つとして、「名無しさん」が多いために、こっちでプギャーと騒いでる人とあっちでwktkしている人が同一人物なのかどうか判断できず(しづらい)、少数の人によって容易に引っ掻き回されてしまうことが挙げられます。この脆い面が最も際立つものの一つにWikipedia(の編集)があるのだろう、と思います。

私は、実名=リアルで使うもの、ハンドルネーム=ネットで使うもの、という区別はせず、名前があるのかどうか、「個」として識別できるのかどうか、という視点で匿名・実名論争を見ています。つまり、「その他大勢」なのか、「誰それさん」なのかどうか、主体があるのかどうか、という視点です。

http://nikkeibp.weblogs.jp/gato/2005/06/kyoukai.html

HNであってもずっと使い続けていれば、それは立派な識別子になります。重要なのは、“顔も地位も分からないけれど、このインターネット上のどこかに、確かに存在するあの人”と識別できるようになることではないかな、と思います*1

また、HNに関してはもう一つ別の視点から、その有用性が語られています。

書くときに実名やコテハンを明示すると、なぜ罵詈雑言の抑止力になるのか? ズバリ、私は「世間体」だと思う。

…(中略)…

たとえ実名に紐付けられてなくても、いつも使っているHNはネット上で実名と同じ機能を果たす。趣味などを通じてAさんが築いたコミュニティとAさんは、HNで結び付けられている。

罵詈雑言を書いたせいでHNが穢れてしまえば、Aさんはかけがえのない自分のコミュニティを失う危険性がある。これはリッパに抑止力になるだろう。

…(中略)…

そしていま、ネット界を律しているのが、ネットワークという名の「世間」なのである。

http://blog.goo.ne.jp/matsuoka_miki/e/f5aa4d7babfecd5f5b4e262ef5dcdd9e

例えHNであっても中長期的に使用していると、そのHNに価値が生まれます。そのため、そのHNを汚さないようにある程度の注意は払うようになり、結果としてそれが罵言や中傷を抑制します。

Wikipediaなどでも、(無料登録機能を組み込むことなどによって)HNが一意であることを保証して、修正履歴に修正した人のHNが残るようにすれば、少しは質が向上するのかな、と思います。

参考URL

*1:2ちゃんねるにおいても、必要であれば“トリップ”などを用いて個人を別する文化が定着しています。恐らく、2ちゃんねるを批判する人が指摘するような問題点は、2ちゃんねる内部においても問題になるケースが多々あるのだと思います。そういった意味では、ただ批判するのではなく、そのようなときに住人はどう対処しているのかを観察することも必要なのではないかな、と思います。