最近,何となくCDTubeを眺めていることも多くなっています.ここ数年,J-POPの動向が全く分からなくなっていたので,少しは最近の曲を知っておくという意味でも便利です.
さて,なぜ自分が(最近の)J-POPを聞かなくなったのだろうと考えてみたのですが,結局のところ“それ(J-POP)について語る相手がいなくなったから”なのかな,と思います.私も好きなアーティストは何人かいますし,その人のCDは相変わらず購入し続けているのですが,音楽自身にそこまで興味がある訳ではありません.それにも関わらず,中高生時代にあれ程(流行の)音楽を聞きまくっていたのは,友人とのコミュニケーションのため,という理由も多分にあったように思います(コンシューマーゲームをしなくなったのも,同じ理由のような気がする).
音楽(特に,流行のJ-POP)に関する話題は,人々(学生の間は特に)の間で最もメジャーな話題の一つです.そのため,J-POPの動向は話のネタの一つとして是非とも知っておきたい情報となります.こういった人々にとって,楽曲の良し悪しはそこまで重要な事柄ではありません.どれだけ良い楽曲であったとしても周りの人とその楽曲を共有できていなければ意味がなく,それ故“有名な楽曲の中から(もしくは,流行っているジャンルの中から)”自分好みの曲を選びその事を表明します.
ところが,一方で,音楽に関してはこれとまったく正反対の光景も良く目にします.すなわち,“誰も知らないような(素晴らしい)楽曲を皆に表明する”というものです.
音楽は趣味として広く浸透しているぶん、人は他人との違いを見せつけようとするため、人とは違った音楽を聴きたがる。かつて2ちゃんねるで「彼女とドライブするときに持っていくCD」が話題になったが、ミスチルは速攻で「痛い」というレスがつき、そのほかのメジャーな人たちの歌も否定された。結局最後に残ったのは、マイナーな洋楽と邦楽である。そんなわけのわからないバンドの曲を聴いて楽しいのか、と思うが、音楽にははそのような「通」ぶりたがる性質がある。
・・・(中略)・・・
マイナーな音楽を聴いたり、批評し、絶賛したりすることは、「自分は人とは違うんだ」という記号でもある。たまたまマイナーな音楽が好きで、結果的に「自分は人とは違う」ということをアピールしている場合もあると思う。しかし逆に「自分は人とは違う」ことを証明するために、マイナーな音楽を聴くことも多いのだ。
知り合いが以前,“ずっと好きだった(マイナーな)アーティストの曲が何かのきっかけで有名になってしまうと非常に萎える”という事を言っていました.少なからぬ人が,自分のアイデンティティや個性を(マイナーな)楽曲に求めている,という訳です.
多くの人と共通の話題を音楽に求める一方で,他人との差異を音楽に求める.相反する要求を同じ音楽に求める光景は,時に奇異に映ります.ですが,音楽に関してはそれら相反する要求をどちらもそれなりに満たせている,という事実はなかなか興味深いなと思います.