なぜ学力は低下したのか

OECD生徒の学習到達度調査(PISA2006)の結果から,日本のスコア(学力)低下の傾向が見られるのは何故かなぁと気になったので少し調べてみました.

まずは現状で自分の中で出た(学力低下の原因への)結論.

それによると、「現在、大事にしていること」(複数回答)として、「成績が良くなること」を挙げたのは、米国74・3%、中国75・8%、韓国73・8%に対し、日本は最下位の33・2%。「希望の大学に入ること」も、米国53・8%、中国76・4%、韓国78・0%に対し、日本はわずか29・3%だった。

「いい大学に入れるよう頑張りたいか」という問いに、「全くそう思う」と回答した生徒は、中国64・1%、韓国61・2%、米国30・2%で、日本は最下位の25・8%。また、「どんなタイプの生徒になりたいか」を尋ねたところ、米中韓は「勉強がよくできる生徒」が67・4〜83・3%を占めたが、日本は「クラスのみんなに好かれる生徒」が48・4%でトップだった。

・・・(中略)・・・

調査を担当した日本青少年研究所千石保所長は「未来志向の米中韓に対し、日本の高校生は現在志向が顕著で、『勉強しても、良い将来が待っているとは限らない』と冷めた意識を持っている」と指摘している。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20060302ur02.htm

結局のところ,モチベーションの問題なのだろうなぁと感じました.それは何も現在の子供が悪いという訳ではなく,大人を含めた現在の日本の世相を正常に反映した結果であるのだろうと思います.

誤解を恐れずに言うと,学校の勉強はつまらなくて苦痛なものです.もちろん,ある特定の科目だけに着目すれば,その科目に面白さを見出している人もそれなりにいます.例えば,私の中学時代の友人の中には教師に“もう勝手に勉強していていいよ.お前は既に俺よりも(知識量が)上だから”と言わせるほど数学バカだった人もいます.ですが,そういった人にとっても,それ以外の科目の勉強にはやはり苦痛が伴います.私自身も,国語は好きな科目だったけれども,リファレンスなしで古文を訳さなければならないのは苦痛以外の何者でもありませんでした.すなわち,学校で行われる全ての勉強へのモチベーションをその勉強の内容のみに求める事には限界が存在します.そのため,“それ以外の何か”にモチベーションを求める事が必要となります.

その(モチベーションの)一つに,“勉強ができたこと”をきちんと評価してもらうことがあります.例えば,私の中学時代は,友人達と成績が似ていたこともあって,試験後一週間位は試験の点数が会話の主な話題の一つとなっていました.そして,神掛かったような点数を取った人がいたら,“まじありえねぇ!”と言った具合に相互に評価し合うことによって,(次は神掛かった点数を取ってみようと)嫌々ながらも何とか勉強を続けていたように思います.比較・競争とは無縁 学習到達度「世界一」のフィンランドを読んで何となく抱いた感想ですが,フィンランドはこの“勉強ができた”ことに対する相互評価が最もポジティブに働いている国の一つなのだろうと思います.

ですが,その試験の結果に対する評価という行為が日本において廃れつつあります.元々,生徒間においては(お互いの成績が近いなど)条件が合わない限りは相互評価が行われにくい上,最近では大人からも正当な評価をもらえなくなっています.

勉強が出来ても,人との調和(コミュニケーション)が取れない人間は,幾ら東大を卒業しても社会では生きてはいけないのである。

http://galaksia.blog89.fc2.com/blog-entry-248.html

頑張って勉強して学校のテストでいい点を取っても,評価してくれるのは母親とせいぜい担任程度.それどころか,それ以外の人からは何かしらのミスをしたときには,“いくら学校の勉強ができても”と逆にそれをネタに諭されるのが現状となっています.そのため,“他人に評価される”ことにモチベーションを求めることもかなり難しくなっています.その結果,(嫌な教科の)勉強をすることのモチベーションが低下し,それが上記のような調査のスコアに現れてきているのだろうと感じました.

考えてみると,現在の子供は本当に世相を正常に反映しているように思います.多くの場合においてコミュニケーション能力と空気を読む能力が等価であると認識されることを考えると,子供達はまさに勉強などよりも人との調和(コミュニケーション)を取ることの方がずっと重要であると考え,そうあるように行動しています.

近年では、学校社会において空気支配が蔓延している。 子供たちは場の空気に怯え、設定されるキャラに戦々恐々としている。学生が新しい「場」に入ったときに、この「場」が強制してくるキャラを受け入れ、それを演じうることが「場の空気が読める」ということであり、設定されたキャラを演じつづけられる限りは、彼はそれなりに人気を得たり、居場所を得ることができる。

場の空気 - Wikipedia

個人的には,学力に関しては(下がったままの)現状維持でもいいのではないかなと思っています.日本の凄いところの一つに,モチベーションが低いにも関わらずそれなりに良い成績を出すことができる,と言うことがあるように思います.一定水準の学力を保ちつつ,“それよりも重要な”コミュニケーション能力なり何なりを磨いていくのも一つの道なのではないかな,と思います.

ただ,それでも学力低下が問題であると言うならば,多分,最初に検討すべきことは“「いくら学力(学歴)が高くても」「学校の勉強だけできても」がどんだけ子供を無気力にさせてるか少しは考えろ”なのかなぁと思いました.

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