BLACK OUT -- 科学と倫理の狭間

主観が大きく混じっていますが,メモとして.

「世の中に笑顔を増やすという製品の意図」などとオムロンの広報担当者は宣うわけですが、機械による測定で増やされた笑顔に何の意味があるのでしょうか。独裁国家の「将軍様」の支持率と同じです。忠誠心を測ることで「不合格」な人間をあぶり出し、脅しを掛けることによって見せかけ上の支持を作り上げる、それと同じことです。人に笑顔を強制する、喜ぶことまでを強制しようとする国家では人権が守られているとは言えないでしょう。

最低の発明であることが理解できない日本 - 非国民通信

以前にも一度紹介しましたが,私が今まで読んだ中で印象深く残っているものの一つに BLACK OUT*1 と言う小説があります.短編集なのですが,「科学と倫理」を大きなテーマとして「暴走する科学者」とそれを止める主人公達と言う構図で各話が描かれています.

この小説は,10話までは「暴走する科学者を止める主人公達」と言う分かりやすい勧善懲悪の形で描かれるのですが,11話で少し様相が異なってきます(参考:幸せの薬 - Life like a clown).この話では,「被害者であるはずの老人達が犯人の科学者を支持する」と言う事態が発生し,これが原因となって主人公が自らの(科学に対する)倫理観を問う事になります.自らの倫理観に疑問符を投げかけられた主人公は自暴自棄になって暴走するのですが,12話ではこの暴走した主人公が作った発明品に関するお話になっています.

暴走した主人公が作った発明品,それは「犯罪者検知器」でした.「犯罪者検知器」とは,ある個人に関する様々なデータを機器に入力する事により,その人が今後,何らかの犯罪を起こす確率を算出すると言うものです.警察は,この機器で高い数値が算出された人達をあらかじめ隔離する事によって犯罪発生率を非常に低く抑える事に成功した,と言う描写がなされています.

私は詳細は知らないのですが,「スマイル測定器」と言う機器には上記に似た薄気味悪さがあるような気がします.これは,「人の内面を数値化し,それを何らかの形で利用する」と言う事への嫌悪感なのでしょう.

どこまで作って良いのか?

倫理観に関連して,いつもモヤモヤするのは「どこまで作って良いのか?」と言う命題です.代表的なものとしては「クローン技術」が挙げられるでしょうか.「クローン技術」に関しても詳細はまったく分からないのですが,たまに記事を見る限りは「ここまでは大丈夫」,「これ以上は危険じゃない?」と言う各々の倫理観の元で日々論争が行われています(いるように見える).

もっと身近なものに目を向けると,例えば Winny 訴訟問題があります.Winny 訴訟問題については,大阪高裁が 逆転無罪 と言う判決を出しました.また,一般的にも「作られた物とその使われ方は区別して考えられるべきである」と言う考えが広まってきています.個人的にも,この考え方は正しいと思いますし,Winny 問題に対して(確定してはいませんが)無罪と言う判例が出たのは良いことだと思います.

しかし,それは別として「Winny は公開して良かったのか?」と言う疑問に対しては,今でも(私の中で)はっきりとした主張を持てない,と言うのが正直なところです.ずっと昔,私が初めてインターネットに繋いだ頃に誰かから聞いた「インターネットの秩序は,ハッカー達の(これは公開するとまずいと言う)良識で成り立っている」と言う台詞が今でも印象深く記憶に残っているのですが,作る側としてもやはり「どこまで作って(公開して)良いのか?」と言う事は気をつけなければならないなぁと漠然とですが感じます.

恐らくはケースバイケースで考えるしかないのでしょうが,上記の記事を見ながら「どこまで作って良いのか?」と言うのは難しい問題だなぁと思いました.

*1:文庫版