巷では Google+ の話題で盛り上がっていたので、これを機に Web 上でのユーザの行動等について頭の中に浮かんでいる事をつらつらと。Google+ 自体はあまり関係ありません。
UIが心地よいとかサークル機能が便利とか、そういう話は今日はいいや。
Google+で見かけるやつはだいたい友達 - べにぢょの日記
ソーシャルなサービスにハマるには、それ自体の魅力に加えて、
一緒に楽しむ仲間が超大事!友達いないとソーシャれない><
招待状をもらって、ワクワクしながらGoogle+に行ったら、
すでにいつものみんながメッチャはしゃいでたw
SNS 系の Web サービスは特にその傾向が顕著ですが、あるサービスを使おうとする場合、「そのサービスの何が凄いか」よりも「そのサービスを誰が使っているか」の方が重要になって来ることが多々あり、この辺りが「サービスの良さを紹介する」時と「サービスの始め方を紹介する」時の違いにもなってきています。例えば、Twitter にしても Tumblr にしても、「始め方」を紹介するときには「誰をフォローするか」と言う話が前面に出てきます。
私自身を見ても、既に mixi の機能の 90% 以上はまったく使用していませんが、それでも mixi は使い続けています。それは、(私にとっては)mixi でしか交流できない人が存在しているからと言う理由になります。自分の PC で未だに IRC が起動しっぱなしなのも同様の理由です。逆に、例えば Facebook は Twitter での呟きを自動的にフォワードする設定にしたっきり絶賛放置中ですが、これは Facebook が使いにくいとかそう言う話ではなくて、単に私にとっては「Facebook じゃないと交流できないと言う人がいないから」と言う理由になります。
この辺りが、Twitter や Facebook 等のサービスの機能的な凄さを紹介した記事を該当のサービスを使っていない人達が読んだときにピンと来ない理由の一つでもあります。「機能的に凄い」とか「便利」のような話は、特に SNS 系の Web サービスでは、既にある程度そのサービスに馴染んだユーザが使い続ける上での不満を和らげるには効果的ですが、まだアカウントを取得していない人に使おう(使い続けよう)と思わせるモチベーションとしては弱いです。
ある集団が飽きていく過程
SNS 系のサービスは「人」が重要になってきますので、ある人がそのサービスに飽きるきっかけも「フォローしてる他の人達が飽き始めたから」だったりします。これは SNS 系 Web サービスや MMORPG で自分が見てきた範囲での感想ですが、10〜20人 程度の集団に着目すると、その集団(に属する人達)がいつサービスに飽きるかと言うと「ハブとなる人が飽きたタイミング」となる事が多かったように思います。
20人程度の集団が形成されると、多くの場合は「数人の能動的な人(ハブとなる人)とその他大勢の受動的な人達」と言う構成になります。この場合、何らかの行動のトリガーとなるのは前者のハブとなる人で、この人が呼びかけたから何かのイベントが発生すると言う事がほとんどです。さらに、そのイベントを進める上で何らかの準備が必要になる場合は、その段取りも多くはハブとなる人が行う事になります。
個人レベルで見ていると、様々な理由(仕事が忙しくなった、単に飽きたなど)でその集団から離脱したり、また新たな人が入ってきたりしますが、前者の能動的な人が残っている間は集団として見れば、それなりにうまく回ります。しかし、ハブ的な役割を担っていた人がいなくなるとイベント等のトリガーが激減し、またいざイベントを行おうとしても取りまとめがうまくいかずグダグダのうちに終了すると言った結果になったりします。こうなると他の人達も飽きてきてどんどんと集団から離脱し、集団自体が終了します。たまに、ハブとなっていた人が離脱した後に、それまで受動的だった人の中から次のハブ的な人が現れて集団としては存続すると言うような事例もありましたが、それは珍しいケースで大抵の場合はどんどん寂れていって集団自体が自然消滅すると言う最期を遂げます。
「コミュニティの一生」と言うコピペを思い出しました。理由はその時々によって違いますが、コミュニティが衰退するきっかけは、ハブとなっていた「面白い人が居なくなる」と言う事が多いのかもしれません。
NEWs保存道場 コミュニティの一生コミュニティの一生
- 面白い人が面白いことをする
- 面白いから凡人が集まってくる
- 住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
- 面白い人が見切りをつけて居なくなる
- 残った凡人が面白くないことをする
- 面白くないので皆居なくなる
ホームと思えるような場所
脱線気味の話。この記事のタイトルは、Twitterに飽きた人はどこに帰るんだろう 辺りを思い出してつけたのですが、この記事を読んだときに「どこに帰るんだろう」と言うタイトルが非常に印象に残りました。「帰る」と言う事は Web 上のどこかに「ホーム」と思ってる場所があるということになりますが、「Web 上におけるホーム」という意識を持ってる人はどれ位の割合で存在するのだろう?と、ふと疑問に思いました。
例えば、自分を例にとってみると、私にとってはこのブログが「ホーム」的な位置づけになっています。ホームと感じてるのは、多分そこが一番時間かけて書いてるから、とかその辺の要素が大きいのでしょうか。後、まぁ一応誰にでも見せられると言うのも大きいのかもしれません。もっとも、はてブの話題とかはニッチ過ぎて微妙ですし、知り合いに見せても「なに言ってんのか分かんないです」とか言われるのがオチですが。
話が逸れましたが、自分みたいに「ホームと感じている場所がある」方が一般的なのか、そうじゃない人が一般的なのかてのは気になったりします。