当初「ニュースは娯楽」と言うタイトルで書こうとしていた話.
ニュースは娯楽
ニュース番組は娯楽の性質を持つ。退屈なときにニュースを見たり、凶悪犯罪のニュースを好奇心で見たりする。まさか、凶悪犯罪の犯人は自分が娯楽として大衆に消費されるとは思っていなかっただろう。
社会学者のデュルケムは、『社会分業論』で、「犯罪は社会にとって有益な結果をもたらす」と述べた。
犯罪は、その被害者はもちろん、当の犯罪者も意図せず、あるいは認知すらしていないような、何らかの有用な結果を社会全体に対してもたらす。
『命題コレクション 社会学』筑摩書房 p194 「犯罪の潜在的機能」E・デュルケム被害者や被害者の家族には悪いが、結果として社会に対して有益である事実に変わりはない。現に、凶悪犯罪であればあるほど、
- 退屈しのぎになる
- 話のネタになる
という事実がある。犯人はこれらを意図していないし、また認知していない場合も多いだろう。もちろん、娯楽を提供するために犯罪を犯したわけではない。
凶悪犯罪ほど娯楽になる
凶悪犯罪に限らず,ニュースは多くの場合「娯楽」として消費されていきます.宇多田ヒカルが何かのインタビューで 2ちゃんねるのニュース速報板をよく見ていると発言した際に,「勉強家ですね」みたいなインタビュワーの言葉に対して「ニュースを肴に雑談しているだけですよ」と返した事が凄く印象に残っていますが,凶悪犯罪を含む時事ネタ,スポーツや芸能ネタ,さらには政治や経済などの話題においてすら,少なからぬものが「雑談するためのネタ」として消費されていきます.
「テレビニュースの娯楽化」と言う現象に関しては,それなりに真面目に検証されているようです.
テレビニュースは1980 年代以降、娯楽化の進行が指摘されている。その内実は後で詳しく述べるが、娯楽化とは、ソフトニュースと呼ばれる各地の話題ネタやスポーツ、芸能などのやわらかめのニュースが増えたり、フリップやテロップ、CG などニュースの表現方法が多様化することを指す。情報番組、ワイドショーとの区別がなくなってきてもいて、番組の境界がぼやける、いわゆるオフジャンル化も起きている。
こうしたニュースの娯楽化は、わかりやすく、楽しめるニュースを目指そうとするものであり、新聞記者出身者や研究者を中心にジャーナリズム性の欠如が指摘され批判の対象とされてきた。その一方で、娯楽化を好意的にとらえて「とっつきやすさ」につながるものとして評価する立場もある。
テレビニュースの娯楽化とマルチモダリティ分析の可能性 *PDF
上記の論文ではニュースの娯楽化に関して,主にテレビというメディアの特質(映像)を考慮した上で述べられています. Web での状況にそのまま当てはまる訳でありませんが,参考にすべき部分は多いように感じました.
「分かりやすさ」の弊害
わかりやすく、短い文章にするためには、
- 主題を絞り込む
- ある特定の立場の視点で論じる(たとえば独身男性)
- 専門用語を使わない
などの工夫が必要だろう。頭の中で考えたことを、そのまま文章にしてしまったら、ただ難解でまとまりのない文章になってしまい、読者は内容を理解する前に、文章を読んでくれない。
しかし、上に上げた工夫をするには、どうしても情報や結論に至るプロセスなどを削らなくてはいけない。全部書いていたらキリがなく、読者も期待していない。わかりやすく書いてしまったため、基本的な情報が欠落し、結論だけが読者には読まれる。その結論も、ある特定の立場に立った場合の結論でしかなく、私もそれは自覚しているのに、読者は私が述べた結論が私の考えのすべてだ、と誤解してしまう危険性がある。
「わかりやすい説明」の危険性
テレビニュースの娯楽化とマルチモダリティ分析の可能性 でも挙げられていましたが,「娯楽化」を考える上でのキーとなるものの一つに「分かりやすさ」があります.ごく限られた人だけはなく広く一般に好まれる(消費される)ものを作ろうとすると「分かりやすい」事が必要とされます.特に,雑談の肴として消費されようとされるコンテンツにおいては「その話題に関して特に背景知識もなく,また,学ぶつもりもまっくない」ような人々にも,何となく概要が伝わるレベルまで分かりやすくする必要があります.
その結果,多くの反響(視聴率,PV,...)をもらうようなコンテンツは,ある話題に関してさわりの部分だけをさらっと紹介したような入門的なもので,その多くを占められてしまいます.そう言ったもので占められる事の功罪は先のレポートで書かれてある通りですが,テレビにおいても Web においても,現状ではそのデメリット(大衆の受けを優先して,突っ込んだ話がなかなかできない)を問題視する声が強まっています.
Web と言うメディアの特性
先のレポートでは「娯楽化」についてテレビの特性を考慮して述べられていました.そこで,ここでは Web のメディア特性を考えてみようと思います.
Web のメディア特性は,一言で言えば「質より量」であろうと思います.テレビや新聞のように,時間や紙面と言った物理的制限がほとんど存在しないため,書きたい人が書きたいだけ書いて情報を発信する事によって他の(物理的な制限が存在する)メディアでは需要が少なすぎて扱う事ができないような話題もカバーことができるのが強みとなっています.この特性は,2005 年以降の Web 2.0 と言う号令の元で様々な Web サービスが普及し,Web 上で情報を発信する事に対する技術的なハードルがほとんどなくなった現在ではさらに加速しています.
一方で,情報を受け取る側の視点で考えると,そういった「情報の海」とも形容される膨大な量の情報をイチイチ取捨選別するのは時間的にも労力的にも限界があるため,何らかの基準である程度自動的に取捨選別してくれるシステムが必要とされています.言うなれば,Web 上では大量の執筆者と大量の読者のみが存在し圧倒的に編集者が不足している状態となっています.
現在,この編集的な役割は,細かく言えば様々な形がありますが大雑把に言うと「アクセスランキング」が担っています.
ホリエモンがニュースはアクセスランキングで重要性を決めればいいと発言したものだから、それではニュースがエンタテーメント化してしまい、伝えなければならないことが伝わらなくなる、という反論が出ている。ホリエモンはその後、「ランキングのようなもので判断することがあってもいいのではないかと思っている」というように発言を微妙に修正しているようだ。
既に存在するブログポータルと銘打っているところのアクセスランキングなどをみても、人目を引くようなタイトルの記事ばかりが上位にランクインする傾向は確かにある。ニュース性の高い記事が必ずしも上位にくるようにはなっていないようだ・。また以前にこの問題を取り上げたときには、アクセスランキングに上がることでさらにアクセスが集中する、という指摘をいただいた。確かに単純なアクセスランキングで、ニュースの価値を決めることは問題がありそうだ。
参加型に対する疑問:人気ランキングだとニュースが娯楽化してしまうか : ネットは新聞を殺すのかblog
実際に,はてブや Twitter(上での言及数),Facebook(での「いいね!」数),その他様々なアクセス数を基にして作成されたアクセス数ランキング的なものを閲覧すると上記で触れた「娯楽化」の現象が見て取れます.
ただし、最後の結論だけは賛成できません。
「自動ランキングがあってもいい。多くの人はその価値判断だけに頼らなくなるのだから」ではなく、やはり多くの人は自動ランキングの判断に支配されるようになるだろうと思います。
ニュースの娯楽化 : 5号館を出て
自分の観測範囲から見て取れる主観ですが,上記の主張にあるように,現在の Web においては各種ランキングサイトに大きく影響されており,書き手もややもするとこのランキングに影響を受けてしまう(こう言った人気ランキングにとって受けの良い記事を書いてしまう)と言う傾向が見られます.