ネットみのもんた

Web ページを眺めていると「ネットみのもんた」と言う言葉が目に止まりました。


「素人はどこまで口出ししても良いのか」と言った事をしばしば考えます。自分の記事へのはてブや twitter からの反響等を見ていても「適当な事言いやがって」と思う事もありますし、自分自身が特に前提知識もなく適当なコメントを残したりもします。

無責任に発信することで発展した Web

Web は、ユーザにはどんな事でも良いからとにかく発信してもらう(質より量)事によって発展してきたメディアであると言えます。そして、そう言った玉石混淆の状態から一定の質を維持するめに、Google などの検索エンジン、はてなブックマークなどの SBM、各種ニュースサイトなどの情報を取捨選択するための人・システムが価値を持っています。この流れは、Web 2.0 が叫ばれた 2005 年辺りから一層強いものとなりました。

オーディエンスは面倒なことを避けたがる。これは自然なことだ。メールでわざわざ反応を示すなんてことはしない。その瞬間、オーディエンスと同時にパフォーマーにもなるので、社会的には状況が複雑になるだけだ。多くの人は沈黙を守る。<沈黙のオーディエンス>は必ず存在するし、それを悪いとは思わない。

沈黙のオーディエンス

「沈黙のオーディエンス」問題とも似ていますが、自らブログ等を持って積極的に情報発信していくような層ではない「一般ユーザ」は面倒な事を避けたがります。自らの発信に対して、その当人が「負担だ」と感じてしまう程の責任がかかる場合、多くの人は「沈黙」と言う選択肢を取ってしまうでしょう。その意味では、「素人では」などと言った事を考えずに無責任でも何でも良いから発信してもらった方が良いとも考えられます。

私は面倒くさがりなので、記事を書くのにいちいちデータを調べない。私は自分の考えにそれなりに自信を持っていればこそ、こうして記事を書いているのだけれど、根拠は乏しい。だから私の記事のほとんどは比喩と例話から説き起こされており、ようするに信頼できない。結果的に私の意見は正しいかもしれませんが、偶然、たまたま正しかっただけ。

飯田泰之『ダメな議論』を読んで肩を落とす

僕はほとんど無責任に物を書く。それなら、他の人が僕に対して無責任に物を書いていても何も言えないじゃないですか。

http://d.hatena.ne.jp/tek_koc/20090204/1233754633

無責任に発信する事が問題となる話題

しかし、世の中には「無責任に発信する事が問題となる話題」も存在します*1。例えば、医療問題関連の話題は、間違った情報を読者が信じて実行してしまうと生命の危機に関わってくるため、他の話題よりも「発信する事の責任」は重くなります。また、何らかの事件や問題について、当事者と直接対話するような場合にも注意が必要となります。

9. まい 2009年12月05日 02:12

あなたのものの見方の最大の問題点を指摘させていただきます。女性に対する性犯罪なんてここ数年で始まったものじゃないんです。もう何十年何百年と、ほとんどの女性が避けて通れなかったものなのです。(実際はほとんどの女性が被害にあっているというデータは、内閣府の調査データなどをご確認ください)つまり女性たちは男性に比べて何万倍もこの問題について真剣に考え続けてきているのです。服装についてもなんについても、被害を避けるための試行は無数に行われています。

…(中略)…

それを、今までろくに性犯罪について考えたこともなく、実態を知ろうともしないいわば素人のあなたが、まったく的外れな提案をしている。それが最大の問題なのです。

http://blog.livedoor.jp/entertheotaku/archives/51705869.html#comments

何らかの事件の当事者と直接対話するような話題の場合、前提知識も何も持たずに発信する事によって当事者の感情を傷つけてしまう・逆撫でてしまうと言う事が予想されます。そのため、こういった話題に言及する際には、他の話題よりも発信に対する責任が重くなる傾向があります。また、それとは別に、当事者の感情(被害者感情)を考慮しながら、特にセカンドレイプのような状態にならないように注意しながら言及する必要があります。

継続的にコミットし続けるつもりがあるのか

上記のような、ある程度「発言に対して(他の話題よりも)責任が重くなる」話題に言及する場合、言及するかスルーするかの指標として「その話題に継続的にコミットし続けるつもりがあるか」と言うものがあるように思います。

素人は黙っていろと言うのか!

勉強したくないでござる!勉強したくないでござる!

re: 読み替え - ls@usada’s Backyard

たとえ「素人」であろうとも、その人の言及が問題の解決に貢献する可能性はあります。一方で、前提知識が不足しているが故に、問題となっている人(被害者等)がこれまで多大な労力を負って成してきた物事をゼロから説明し直さなければならず、余計な労力や精神的負担を背負わせてしまうと言うケースもしばしば見かけます。

したがって、ある程度以上のクリティカルな話題に対して「素人」が言及する場合、コメント欄に言いっ放しで終わるのではなく継続的にその話題についてコミットし続けるつもりがあるのか、もう少し言うと、1, 2 冊教科書的なものを読むなどしてある程度の前提知識を持つか、そうではなければせめて Google 等の検索エンジンを利用して、同様の事例に関する過去の議論を探して読む等の「これから勉強していくつもりがあるのか」を一度考える必要があるように思います。

私自身は、「Web 上に挙がっている記事を読む以上には深く追うつもりのない話題」については「関心がない」と言う事にしています。ただ、関心がないと言いつつ「無責任」に blog で何かを書いたりする事もあるので難しいところです。「話題」の性質をよく考えながら、どの程度適当に情報を発信しても良いのか、各々適切に判断する必要があるのかなと感じました。

*1:もっとも、全ての話題において無責任に発言されることは多少の問題となるので、正確にはその度合いの高い話題と言うことになりますが。