結婚が減少している背景としては、「経済、福利厚生(結婚・出産すると働けなくなる等)などの面で結婚したくてもできない人達が増加している」問題の他に、「恋愛結婚至上主義の弊害」が問題としてよく取り挙げられます。
現代の日本では恋愛結婚が当たり前を通り越して、規範となっている。
社会学者の山田昌弘によれば、恋愛と結婚が結びついた恋愛結婚イデオロギーは、18世紀から19世紀にかけて、西欧のブルジョワ社会に誕生した。(山田昌弘『近代家族のゆくえ』(新曜社 1994 p.127,128 以下、山田)
日本で「恋愛結婚」という思想が登場したのは、大正時代と言われる。当時はまだ庶民の間には普及していなかったが、戦後になり急速に普及し、今では「結婚」と「恋愛」は強く結びついている。
そして、恋愛結婚イデオロギーの特徴は、次の3つ。(山田、p.130)
- 恋愛の基準がきわめてクリア(「結婚したいかどうか」)になる
- 恋愛は、結婚へのプロセスとして位置づけられる
- すべて結婚は恋愛結婚であるべきことが社会的通念になる
結婚を考えていない恋愛は「遊び」「セックスフレンド」とみなされ、不真面目な行為だと見なされる。恋愛が続けばその先には当たり前のように「結婚」が待ち受けていて、「恋愛感情」のない結婚は、社会的に許されない。
「ぜんぜん好きじゃない男と結婚する女性」は、許されない。「不幸な結婚」「不本意な結婚」「本当の結婚じゃない」と見られてしまう。
また、見合い結婚をしたカップルに、「恋愛じゃないんですねー」と言うと、「きっかけは見合いだったけど、ちゃんと恋愛して結婚しました!」と怒る場合がある。べつに結婚に恋愛感情は不要なのだが、今の日本では、それが許されていない。
結婚と恋愛は別
「愛しているから結婚する」と言うのは大変結構な事だと思うのですが、これは言い換えると「愛している人がいなければ結婚しない」と言う事を表しています。皆が皆、「最愛の人」に出会える訳はないので、結婚する条件を「愛しているかどうか」に絞ってしまうと結婚の数が減少するのは容易に想像できます。また、「独身の人達」に対する世間の目もずいぶんと変化してきており、「結婚」に対する外圧も和らいできました。これ自体は良い事だと思いますが、「結婚するかどうか」の選択を各人の意志に任せると、結婚の割合はどうしても(外圧がかかっていた頃よりも)減少する事となります。
結婚に「愛」以外の機能がどんどん低下している
もう一つ、結婚自体(正確に言うと、「結婚後の夫婦の共同生活」)についても「愛」以外の機能がどんどん低下してしまっているため、「結婚」するかどうかの判断基準として「愛」のような精神的なものしか残っていないと言う現状もあります。
社会学者のオグバーンは、家族には以下の7つの機能が存在したと述べる。
- 生産単位としての経済的機能
- メンバーに対する地位付与機能
- 子どもに対する教育機能
- 家族メンバーの生命・財産を守る保護機能
- 進行活動を通じてメンバーの精神的安定と結束をはかる宗教機能
- 安らぎを図るレクリエーション機能
- メンバー同士の愛情機能
オグバーンは産業化の発展にともない、7番目の愛情機能のみが家族の中心的機能になると指摘した。
指摘のとおり、愛情以外の家族の機能は低下している。愛情は親子間でとくに強く作用し、愛情機能は家族のコアとなる機能となっている。
「崩壊」し続ける家族・そして愛情だけが残る
以前では重労働であった炊事・洗濯等の家事も、様々な家電製品やスーパー、コンビニのような店舗の出現により単身でも特に問題なくこなせるようになりました。また、完全ではないですが、女性も職に就けるように世の中が改善されてつつあり、女性が一人で生きていく事も割と現実的になってきました。その結果、以前は結婚して「役割分担」していたものが一人でも賄えるようになり、そう言った理由(役割分担など)は「結婚」を検討する上での優先順位としてはどんどんと低下しています。