週刊少年ジャンプの漫画のいくつかは毎週読んでいますが、流し読みレベルで特に感想を抱く事もないまま 2 週間後には内容を忘れてしまうと言う感じなので、下記のような話も指摘されるまで気づきませんでした。
一時期、
ナルトはなんで「下層の鼻摘みもんの孤児」じゃなくなったのだろう
岸本斉史が登場人物のバックボーンを描くと
全部「子供の頃に親の愛情が不足しててさびしかった」になってたんだけど、
(ナルト、サスケ、ガアラは勿論、割と冷血悪党ポジションのサソリや大蛇丸すらそうだった)
更にその全部に「実は勘違いだよ、上手く伝わらなかったけど愛されてたんだよ」というオチがつく。
今週とうとうサスケの過去まで「実は両親にも兄にも愛されてたんだよ」で決着してしまった。
さて。上記を読んで気になった事の一つに「これを読書感想文として学校に提出したら、先生達はどう言った評価を下すのだろう?」と言うものがありました。
読書感想文では、読者は感想を書いてはならない。読書感想文を書けと命令した人が満足するような文章を書かなくてはいけない。
…(中略)…
感想文に限らず、多くの文章は、人に読まれることを前提にしている。だから読書感想文も、教師に読まれることを前提に、感想を書かなければならない。教師が満足するような感想を書かねばならないのだ。
「そんな小細工しなくていい」と思う人もいるだろう。でも、読み手を意識して、その期待に応えるテクニックは、生涯役に立つのである。現に、このサイトで文章を書く上で、役に立っている。仕事でも有益である。だから、読み手を意識することは、決して悪いことではないのだ。
感想文の意味
「読書感想文を書けと言われたから、読んで思ったことをそのまま書いたら先生に怒られた」みたいなトラップを経験した人は少なからず存在すると思いますが、この原因の半分くらいは「読者(今回の場合は先生)が理解できるかどうかを考えずに書き散らしただけだから」と言う所に起因します。読書感想文に限らず、メールの文面等でも「読者の事を考えずに、ただ、書き散らす」と言う事例はよく見られます。
しかし、「文章としてそれなりに読めるような体裁であったにも関わらず酷評された」と言うケースもあり、特に、上記のようなネガティブな感想文の場合はその傾向が強まります。上記の記事については、その賛否は置いておくとして、指摘されている部分(物語がいつも「実は愛されていた」と言うオチで終わっていて面白くない)に関してはなるほど確かにそうだと思いましたし、指摘の仕方も簡潔で分かりやすかったです。上記のような感想文が「ネガティブな事を書くと怒られそう」と萎縮する事によって出てこなくなるのは、やはり惜しいように感じます。
読書感想文のような類のもので、生徒達にネガティブなものも萎縮させずに書かせるためには「個人的には(あるいは、先生としては)賛同できないけど、指摘されている部分については評価できる」のような事をもっと伝えていく必要があるのかなと思いました。