少し前の話ですが、Dream Live 2014 のチケットが当たったとの事で、誘われて行ってきました。私は「ライブ」と言うものに行った事がなかったので「これ、どういうテンションで参加すれば良いんだろう……?」と少し不安だったのですが、「観客総立ちで盛り上がる」と言うよりは「座って静かに鑑賞する」感じだったので、杞憂に終わって良かったかなと思います。
Dream Live 2014 自体については「凄く良かった」程度の感想しか書く能力を持っていないのですが、帰宅してから上記の 矢井田瞳 - Over The Distance(ライブの冒頭で演奏された曲)等を Amazon からダウンロードして聞いている内に、以前に フロンティアを見てみたい、それが無くなってしまう前に と言う記事の中で紹介した話を思い出しました。
「つまりですね、現代において古本屋巡りという行為は既に失われてしまっていると思うんですよ。本を探すときはAmazonを見る。聞きたい音声があればYouTubeを漁る。携帯電話が待ち合わせと擦れ違いの機微を葬ったように、VideoがRadio Starを葬ったように、AmazonとYouTubeもまた何かを殺したと思うんですよ。求めよさらば与えられん、って言いますよね。僕たちはもう求める前に与えられてしまう。『求める』という言葉の意味を、忘れつつある」
…(中略)…
「白夜の反対ってなんて言うんでしたっけ」
http://d.hatena.ne.jp/harutabe/20091025/1256448628
「えーと、極夜」
「そうそう極夜。その明けない夜の下で、植村直己みたいなモコモコの服を着て、凍りついた星空に踊る極光を見上げる、その体験のプライスレス具合を100点としましょうか。たぶん僕たちの次の世代では、仮想的に97点くらいまでは体験できてしまうようになると思うんですよ。YouTube的な何かで」
「残りの3点は?」
「だから、古本屋巡りですよ。小型機に乗ってエアポケットでゲロ吐いたり、やっと着いたらブリザードで三週間足止め食らったり、釘付けにされたホテルのレストランのメニューが毎日鹿肉だったり、そういうのですかね」
「それは無くていいだろ」
「まあ、そうした体験こそが貴いという見方もありましょうが。とはいえその最後の3点だけのためにわざわざグリーンランドくんだりまで行きはしないわけじゃないですか。僕たちが古本屋巡りを止めてしまったように」
ライブで聞いた演奏と Amazon からダウンロードしてパソコンで聞いている曲とでは、実際に両方聞いた後であれば、それこそ 3 点どころではなく「全然違う」と思える程の何か(上記で言われている「体験のプライスレス具合」でしょうか)を感じるのですが、では、今後いろんなライブ・コンサートに積極的に参加しようとするのかと問われると、生来の出不精な私としてはこれからも「まぁ…… Amazon でいっか」と言う選択肢を選び続けてしまうのだろうなぁと言う気がします。
Amazon や YouTube のように便利なものが登場する事は良い事ですし、各人の「お金」、「時間」、「労力」、「モチベーション」と言ったものも限りがあるので、そこまで情熱を持っている訳ではない分野に関しては概要的な部分をサラッと流して終わるのも重要な事だと思います。ただ、加齢とともに、かつてそこまで重要とは思っていなかった「モノとして形に残らないもの(≒体験)」から得られる知見等にも価値を感じるようになり、どの程度そう言ったものに対して自分のリソースを割いていくべきか悩む場面が増えてきました。誰かの言っていた「お金の使い方にもセンスが求められる」と言う言葉が強く印象に残っているのですが、お金に限らず、自分の持っているものを「どの位、どうやって」消費していくかを決める事は、なかなか難しい課題だなと感じます。
それと同時に、自分の(出不精等の)性格を直すのはなかなか難しいので、そう言った場所へ引っ張っていってくれる(きっかけを与えてくれる)他人の大切さと言うものも、近年、よく実感する部分でもあります。