突然まとめてみようと思い立ったので,自分の考えをまとめてみる.
私の記憶だと“空気を読む”と言う言葉が日常的に使われ始めたのは2004年あたり(大学院に進学した頃)だったと思います.Wikipedia:場の空気を見ても,初出こそ山本七平『「空気」の研究』(1977年)となっていますが,その後の参考文献はいずれも2004年以降なので,まんざら的外れと言う訳でもなさそうです.きっかけは良く分かりませんが(お笑いの業界用語が定着したという説が有力か?)ここ数年で“空気を読む”と言う言葉は爆発的に普及し,日本人が円滑に対人関係を築く上で必須のものとまで言われるようになりました.
空気を読むとは?
はじめに“空気を読む”とは具体的に何を指すのか,自分が認識している範囲で列挙してみようと思います.
- 相手の表情や(相手が信じている)常識を基にして,相手のしゃべる不完全な言葉を補完し,相手の言いたいことを理解すること.
- (日本)社会には建前と本音が存在することを理解し,本音を話しても良い場面であるかどうか判断できること.
- (上司やその場での発言力の強い人など)特定の人の顔を立てて,その人の気分を害する発言を控えること.
- 議論してある(正しい)結論を導き出すための話題だけではなく,同じ場にいる人達と無難に時間を消費するための話題と言うものも存在することを理解し,議論すべき場であるかどうか判断できること.
これらを見ると,必ずしも好ましいとは言えないものが“空気を読む”に含まれていることが分かります.“本音と建前を使い分けろ”や“上司の顔は立てろ”と言った事はこれまでもずっと言われてきた/行われてきた事ですが,どちらかと言うと必要悪という認識が強く,少なくとも皆の前で声高に主張するようなものではなかったように思います.“空気を読め”と叫ぶ人があまり良い印象を持たれず,むしろ“空気など読むな”と主張する人が後絶えない理由は,この辺りに起因するのだろうと予想されます.
“空気を読む”のマジックワード化と思考停止
上に列挙したように,“空気を読む”には様々なものが含まれていることが分かります(他にももっとあるだろうと予想している).“空気を読む”と言う言葉がよほど日本人の琴線に触れたのか,それ以前まではもっと具体的な言葉を用いて指摘されていた事柄(“本音と建前を使い分けろ”とか“あの人の顔は立てておけ”とか)まで“空気を読め”の一言で片付けられるようになり,その結果として対人関係の問題については思考停止が進んでいるように感じられます.
苅谷は、「生きる力」「報道の自由」「個性」などを例としてあげて、「こうしたキーワードは、容易にマジックワード(魔法のことば)に変わる。つまり、魔法の呪文のように、人々の考えを止めてしまう魔力をもっている」と述べている。
・・・(中略)・・・
世の中には情報があふれ、世界はとても複雑だ。複雑性を縮減するために、「概念」や「意味」がある。情報を一般化・抽象化させ、物事を単純にできる能力は、「考えずにすます能力=思考を止める能力」でもある。だから、考えずにすますことは、一概に悪いとは言えない。
でも、暮らしている中で、自分で気がつかないまま「考えずにすましていること」は多い。
http://simple-u.jp/pd200401.html#2004-01-11
考えずに済ますことができるならそれに越したことはないので,思考停止に陥ることは必ずしも悪いとは言えません.しかし,様々な事柄に対して“空気を読め”と言うマジックワードで済ませるようになった結果,指摘された側は何を改善すべきなのか迷ってしまうと言う状況が生まれ易くなりました.あるいは,“空気を読め”と指摘した側でさえ,マジックワードに慣れてしまったため,もはや自分の抱いた不快感を具体的な言葉に言い表す事ができなくなっているのかもしれません.
内藤誼人によると、「場の空気」自体を読めない人は、場の空気に対する自覚が無いことが多いので、単に「場の空気を読め」と叱るよりも、むしろ「さっきはお客様の話に相槌を打つこともせず、書類ばかり見ていたね」といったように具体的なことを伝える方が状況改善、問題改善につながることが多い。
場の空気 - Wikipedia
自分が相手に対して“空気を読め”と言いたくなったときは,自分が何に対して不快感を持ったのか(自分の中で)明確にする意味も兼ねて,“空気を読め”ではなく具体的に指摘した方が良いように思います.
“空気を読め”の悪用
“空気を読む”と言う言葉には様々な意味で用いられるため,時として悪用されます.例えば,何らかの発言に対して不快感を抱いたときに“その発言は俺が不快だからやめろ”と言う意味を込めて“空気を読め”と主張する場合などです.(その発言がどうだったかにもよりますが)この主張は俺ルールの押し付けとも取れる内容ですが,“空気を読め”と言う言葉を使うことによって正当性があるように感じさせてしまいます.“空気を読め”に反発する人が多い原因の一つでもあるように思います.これは,言った本人でさえ,俺ルールの押し付けである,と言うことに気が付いていないと言う事も起こり得るのでやっかいです.これも“空気を読む”と言うマジックワードを使うことによって思考停止するようになった弊害の一つかもしれません.
“空気を読む”と言う言葉が急速に広まった事の反動で,“空気なんか読むな”と言う主張も数多く見られるようになりました.しかし,“読む”,“読まない”の二元論ではなく個人的に必要だと思うのは,“空気を読め”や“空気を読んだ”などの言葉が出たときに,(毎回ではなくたまにでも)それを具体的な言葉で言い換えてみることではないかなと感じました.