定期的に問題となる話.
この場合の「なんですぐ止まるんだ」は、理由を知りたいわけではなくて不満をぶつけているだけである。大抵はそう読むと思う。おかげでその後のコメント欄はイッパンジンが寄り付けない空気に包まれ、閑古鳥が鳴く。
なんでオタクって空気読めないコメントするの?
人が何らかの話を他人に振るときには,その話に関して議論・意見交換をする「情報」的な性質を持つ場合と,会話そのものを楽しむための「話題」的な性質を持つ場合の二つに大別されます.そして,mixi のように「顔見知りの人と何気ない話をする」傾向が強いサイトでは,後者の「話題」的な位置付けで多くのコンテンツ(新聞記事などのニュース,日常の中で起きた事件,話題になっている商品,Web ページ,etc)が消費されていきます.
彼らはたぶん、会話そのものを愉しんでいるわけではない。内容はない方がいいのである。それは「共感したよ」とか「あなたの日記はちゃんと読んでますよ」とか、そんな「繋がり」を確認するための行為だからだ。それは孤独で不安だといってするセックスのようなもので、余計な「中身」は邪魔なだけだ。それが彼らのいう「空気」である。Webがそうした「繋がり」のために利用されること自体は悪いことではないと思う。ただ、そこに「繋がり」を幻視できないオタクたちと共存はできない。
「空気」を巡る一般人の予定調和とオタクの場外乱闘|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記
あるコンテンツを「話題」として消費する場合,その「内容」には大した意味はありません.「彼ら(イッパンジン)」にとってはせいぜい「今日は良い天気ですね」と発言したに過ぎず,「なぜ今日は良い天気なのか?」とか「本当に今日は良い天気なのか?」と言ったことには(ほとんど)興味はありません.
話がずれますが,この観点で mixi を眺めていると,mixi ニュースのヘッドラインは実にそういった「彼ら」のニーズによく応えているように感じます.mixi ニュースのヘッドラインに上がってくる記事は,「心底どうでも良いのだけど,思わず反応だけはしてしまう」ようなものが多いように思います(「それはないわー」とか).「その内容が正しくても間違っていても,大した影響はない」と言う「話題」として消費するにはうってつけのようなコンテンツが並んでいるな,と言う感想をよく抱きます.
しゃべりすぎな「オタク」
「話題」としてコンテンツを消費する「彼ら」と,「情報」として消費(情報収集や意見交換など)する「オタク」.両者にはそれぞれいくつかの問題が存在していると思いますが,今回はその中で「オタク」側で問題だなと思った点を一つ挙げてみます.
女子A「なかなか面白いガイドですね、でも私だったr」
アニオタが大はしゃぎでブクマコメに軽く全レスするための10本 - ls@usada’s Backyard
妖怪モトマスダ「オウフwwwww興味をお持ち頂きありがとうございますwこのセレクションのキモって「エヴァンゲリオン」のところで書いているようにあくまで「オタクが非オタのためにどこまでオタ臭を出さずにアニメを説明できるか」そのコミュニケーション力テストの意図なんですけど(中略)『脱オタクファッションガイド』と方向性は真逆だけど彼女の方が「ちょっとアニメのことが聞きたいんだけど何を見たらいい」と聞いてきた場合を想定して目指せ淀長さん!という気概で(中略)俺はオタ世界的読解を捨てるわけじゃないけどそれは俺個人のもので彼女にそれを知ってもらったりまして共有してもらう必要もないしそこで期待しているのは所詮は反射的効果だから「俺の10本」でしかあり得ないしだからハルヒに乗り気じゃなかったのかな俺は…(遠い目)元増田です!アクセス爆上げです!ゆるふわテンプレみたいな愛され方されそうですね!それを口にした瞬間失格だとお考えください!追記が増えすぎてそろそろ後から来た人に不親切な感じになってきたので分かりやすいまとめ記事を作っておきました!(中略)なんかでもあれだな、話が盛り上がってツッコミ入れたりしても「それを口にした瞬間失格だとお考えください」とか誰と会話してるのかよくわかんないノリで言うこのまとめ記事見てたら、「元増田をネット上で叩いても、全然意味ねーな!」って思ったよ!やめといた方がいいな!」
女子A「いや、お前絶対無理。」
オタク的な気質の人は,「しゃべりたいことは取りあえず全部しゃべる」と言う傾向があるように思います.これは,話を聞いている相手もそれなりに興味と事前知識を持っている場合であれば何とかなります(会話が成立する).しかし,事前知識が圧倒的に乏しい人やそもそもそこまで興味がある訳ではない人を相手に「取りあえず,俺は言いたいことは全部言う.お前は理解して反応しろ.」のようなスタンスでしゃべると多くの場合,聞いている側が途中で挫折して会話自体を拒否される,または拒否まではされなくとも「へぇーすごいですねー(棒読み)」と言う反応で流されてしまう,と言う結果をもたらします.
「興味を持っていない(薄い)相手に何かを伝える」と言う事は想像以上に難しいことです.話の内容が少しでも分かりづらければ(退屈であれば),直ちに聞く事を放棄されてしまいますし,たとえ最後まで聞いてもらったとしても自分の言いたいことの2割でも伝われば上出来,と言う事もよくあります.それでも,尚,何かを伝えたい場合,話し手が最初にする事は「できるだけしゃべる量を減らす」ではないかなぁと思いました.