18歳の君たちに告ぐ,取りあえず東大へ行け - Life like a clown の続き.補足と言うか元の記事に対する雑感なのですが,適当なタイトルが思いつかなかったので補足と言う事にしておきます.
「あなただから実現できた」と言う可能性
b:id:tanakamak 取りあえず「東大」には行けないだろう、jk
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/tt_clown/20100116/1263622099
前回の記事で期待していた突っ込みとは上記でした.上記の指摘通り,当たり前ですが全ての人が東大に行く事はできないため,前回の煽り記事を実践するためにはある程度の能力が必要となります.
「15歳の〜」の一連の記事を読んでまず始めに気になった事項は,「著者は,どの辺りの人達を対象と考えているのだろう?」と言うものでした.該当記事のみを読んだ時点では,非常に有能な若者に向けた文章なのかなと言う気がしたのですが,関連記事も読んでいるとどうもそう言った人達のみを想定して書かれたものではないような印象を受けました.
現在の日本社会(特に雇用関係)は閉塞感が漂っていますし,成長著しい新興国で大きなチャンスをものにした方が良いと言う主張は一理あります.しかし,これを実現するにはやはりある程度の実力が必要となります.該当記事を読んで思った(穿った)感想としては,「それは,あなただから実現できたのでしょう」と言うものでした.この記事を書いた著者は,かなりの能力を有している可能性が高いと思います.
有能な人達にしばしば見られる特徴として,「自分の実現できた事柄を過小評価する」と言うものが挙げられます.煽った言い方をすれば「俺が(大した苦労もなく)実現できたのだから,お前らにもきっとできるはず」のような感じでしょうか.この類の人達によって主張される事は,確かに当事者にとっては造作もない事であったものが,一般的にはかなりハードルの高い問題であったと言う事も少なくありません.そのため,後追いした人達が続々と挫折してしまう危険性が多分に含まれています.
「現状は最悪である.きっと今より良く変えられるはず」と言う幻想
何らかの壁にぶつかっている人達が抱きやすい幻想として「現状は最悪である.この状況を一変できるような画期的な方法があるはず」と言うものがあるように思います.こう言った幻想を抱いている人達には,今あるものを全て否定してしまうと言う危険性が潜んでいます.
確かに,現在の日本の大学には数多くの問題が存在します.しかし,それと同じくらいの利点もまた存在します.例えば,「海外へ出て可能性を探る」と言う目的にしても,多くの先人達の功労によって様々な制度が確立されています.東大ではないにしろ,ある程度まともな大学であれば,海外留学や海外インターンなどの制度はそれなりに存在します.
15 歳から海外へ出ていくのも良いかもしれませんが,その進路についてはまだ社会的な制度が十分に整ってはいません(募集数が少ない等).これは,その進路を進む事を決めた場合,周りから受けられる支援が限られる事になり,多くの困難を自力で突破して行かなければならないと言う事を意味します.コメントで,なぜ海外の大学ではなく日本の大学なのですか?と言う問いがありましたが,私の答えとしては「わざわざ茨の道を進む事はない」と言うものです.少なくとも現状では,日本の大学に取りあえず籍を置き,そこから各種制度を利用して海外へ挑戦する方が多くの人にとっては現実的であり近道であると思います.
大学を含め,現在の日本社会では修正していかなければならない事柄が数多くあります.しかし,だからと言ってそれまでの先人達の業績を全否定して,まったく新しい道をゼロから自分で進んで行くと言うのはあまり良い選択肢ではないのではないか,と思います.
フロンティアの開拓を他人に勧める事の是非
私はフロンティアを開拓するような生き方を否定しませんし,そのおかげで後続する人達が様々な利益を享受できるようになるため,そう言った人達の存在は大切だと思います.ただ,その生き方を他人にまで勧めると言うのはどうなのだろうと考えています.