多数派の法律違反

一貫性を他者にばかり求めてもというエントリを読んで少し考えたこと.本筋とは離れますが.


法律違反について言い争いになる光景をしばしば見かけます.最も例に挙げやすいものはスピード違反でしょうか.この場合,スピード違反を良く思わない側の主張は,概ね何と言おうと法律違反は法律違反というものに落ち着きます.それに対して,スピード違反をやってる側の主張としては道路の流れに逆らうとかえって危険.真面目に規制速度を守ると渋滞を引き起こしてしまう.といった感じでしょうか.個人的には,両者の主張はどちらもある程度は正しいのだと思っています(だからこそ言い争いになるのかもしれません).ここで重要なのは,本当に数え切れないくらい多く存在する法律の中で,スピード違反に関する意見の衝突が起きやすいのは,違反している側の意見が多数派だからという事実です.


そもそも,法律自体も国民の多数決で決まります(実際には国民の代表となっている議員の方々の多数決なので必ずしも国民の多数派であるとは限らないが).その為,多くの場合においては法律違反を起こす側は少数派であるので,そういった少数派の意見は無視されます(法律は守れが多数派の場合は,ある意味当たり前ですが,議論の余地がない位その意見は強い).しかしながら,多数派の意見が普遍である保証はどこにもありません.法律が施行された後,多数派の意見が変わってしまうことも十分考えられます.そして,その場合には多数派の意見と法律が食い違ってしまいます.その結果,法律は守れという意見と衝突が発生し,上記のような問題に発展します.

法律は常に不完全に執行されます。死刑囚がちっとも死刑執行されないのだって、本当は法律違反だけど、「絶対に法律を守れ」という人は多くない。ではそのような人は、法律の曖昧な運用について批判する資格を持たないのか。そうではないだろう、と。なぜ、そうではないのか? これは難しい問いだが、ようするに、多数派がそれでいいといっているんだ、と答えれば話はスッキリする。

人によっては,こういう意見には不快感を覚えるのかもしれません.しかしながら,是非は別として,ある程度はこのような風潮のもと社会が動いているのも事実ではないかなと思います.なので,その中で行動していくしかないのではないかなぁと.あまり理想ばかり追い求めると現実とのギャップに絶望して引き篭もってしまうとかなりかねませんし(!?