沈黙のオーディエンス問題

吐き出す:ブログにブクコメなんてしなくなればいいのにを契機に久々に沈黙のオーディエンス問題に関する議論が熱くなっていました。

コメントをもっと使えばいいのに。コメントを使いやすい雰囲気になればいいのに。もっと気楽にやろうよ。

吐き出す:ブログにブクコメなんてしなくなればいいのに

id:subon に限らず、読者の反応を知りたいという気持ちは、多くの書き手が抱いているであろうと思います。しかし、実際には感想や意見を述べてくれるオーディエンスはほとんど存在せず、多くは沈黙を保ったまま去っていきます。そこで、書き手は何とかしてオーディエンスの反応を知ろうと今までに様々な方法を試してきました。メールアドレスを自サイトに表示することから始まり、掲示板の設置、Web拍手や投票システムの導入など。エントリ毎にコメントとTBを設置する、と言うblogの構造もこの試行の延長上にあったのだろうと思います。

そして、SBMもこれらの試行の一つと位置づけられるようになりました。昔、沈黙を破るオーディエンスでも書きましたが、SB Mを通じてオーディエンスの反応を知ろうとする試行が(blog のコメント欄などと比較して)一定の成功を収めたのは、オーディエンスが「自らのために」ブックマークをした結果、副次的産物としてそのオーディエンスの反応が分かるような設計になっているので、他の方法よりもずっとコメントに対するハードルが低かったためであろうと思います(計ってか計らずかは分かりませんが)。

すなわち、「オーディエンスの反応を得る」という観点から見ると、SBM を通じて反応を得るという現在の状況は、「最初は、blog にコメント欄を設けていろいろ試したけど良い結果が得られなかった。そのため、その方法(コメント欄から反応を得る)は諦めて他の方法を模索し、次善策を見つけた(それが SBM)」結果なのではないかな、と思います。

オーディエンスは面倒なことを避けたがる。これは自然なことだ。メールでわざわざ反応を示すなんてことはしない。その瞬間、オーディエンスと同時にパフォーマーにもなるので、社会的には状況が複雑になるだけだ。多くの人は沈黙を守る。<沈黙のオーディエンス>は必ず存在するし、それを悪いとは思わない。

沈黙のオーディエンス

オーディエンスは面倒なことを避けたがります。それ故、書き手がいくら“気楽にコメントを書いて下さい”と呼びかけてもその声は沈黙しているオーディエンスには届きません(オーディエンスにとって“気楽”なのは、読み逃げすること)。反応が欲しいのであれば、やるべきことは呼びかけ(だけ)ではなく“気楽にコメントできる”ように自サイトを設計することだろうと思います(そして、多くの人はその方法が分からず絶望する)。

蛇足

上のエントリのはてブコメで“コメントってある程度数がつくと一気に伸びたりするよね。荒らしみたいなのを除いたとしても。その辺の心理は気になるところ。”と書きましたが、コメントを書く事への心理的抵抗感を上げている要因の一つに、“エントリへのコメント数がゼロだから”というものがあるのではないかな、と感じました。

人(日本人?)は誰もやっていない事に対して先陣を切って行うことを嫌う傾向があります。逆に、“他の人もやっている”という事実があれば、良くないことであってもあまり抵抗感を感じずにやってしまいます。正規のゴミ捨て場でなくても、ゴミがたくさん捨ててあれば自分も捨ててしまう、と言ったように。コメントにおいても、ある程度エントリにコメントが付くと、その事実がオーディエンスのコメントを書く事への心理的抵抗感を下げるのではないか、と思います。

そう考えると、コメント欄の敷居を下げるために最初にやる事は、結構な頻度でエントリにコメントを書いてくれる“常連”を作ることかなと思いました。ある程度の数の“常連”を作ることによってコメント欄が賑わい、それが“一見さん”がコメントを書く事への抵抗感を下げる、と言う正のスパイラルが期待できます*1。そして、常連を作るにはどうすれば良いかと言うと、書いている内容の近いblogや定期的に読んでいるblogで積極的にコメントを書いて顔を売る、と。

……何か、mixiみたいになってきたのでここで止めておきます。

*1:ただし、常連との距離が近づきすぎるとコメント欄に閉塞感が生まれるため、逆にコメントする事への心理的抵抗感を上げ兼ねないので、その辺りのバランスは難しそうですが。