革靴の一体ぜんたい何が良いのかぼくにはさっぱりわからないんだけど、スーツといえば革靴です。そういうものですし、ここに疑問をもってはいけない。疑問を持つのはもう少し意味のあるところにしないと、エネルギーがムダになります。
革靴とか忘れた - 理系学生日記
スーツや革靴など服装をある程度制限することには,「服装を選ぶわずらわしさ」を和らげる役割があります.仮に「服装は自由にして良い」とされた場合,お洒落な人や服装に気を使うのが好きな人なら良いですが,そうではない人にとっては「毎日毎日の服装を自分で考える」のは意外と疲れるものです.また,その人の評価が服装のセンスに影響を受ける事もあるため,仕事をこなす能力とは関係のないところで不当に低い評価を下される人が増えると言う懸念もあります.そう言った要素をできるだけ排除する役割として,服装を制限する事にはそれなりに意味があります.
・・・と,今回はそう言う話ではなくて.
世の中には「それに何の意味があるのだろう?」と首をかしげたくなるような事柄が数多く存在します.それらの多くは,疑問を感じている人がその意味にまだ気づいておらず,注意深く観察・検討すれば,それらの持つ意味が恐らくは見えてくるのだろうと思います.
学校で得た知識が役に立つかどうかは、振り分ける社会の側にとっては、問題ではない。「こんなの意味がない!」といくら叫んでも、勉強する側の個人に意味があるのではなく、社会の方に意味があるのだ。「勉強しても役に立たない」と言ったところで、社会からは「役に立ちませんが、それが何か?」という返答が返ってくるだろう。
この世の中に意味のないものはない。
- 本人が意味に気がついていない
- 世の中にとっては知らせないほうが好都合
このどちらかだろう。
なぜ役に立たないことを勉強しなければならないのか
しかし,全ての(何の意味があるのだろう?と疑問を持った)事柄に対してそのようなスタンスを取ると,膨大な労力と時間を割かれることになります.そのため,円滑に日々を暮らしていくためには,時に「良く分からないけどそういうものだ」と思考停止をする事も必要になります.
もうひとつは、思考停止の機能である。二つの選択に迷っている場合、占いで選んでもらえば、考えるための労力を使わずにすむ。ラーメンがいいかカレーがいいか。結婚したほうがいいのかしないほうがいいのか。今の世の中複雑にこんがらがっていて、どっちを選んだとしても、それなりに幸福で、それなりに不幸だろう。
どっちを選んでも大した問題じゃない場合、占いによって選択することで、思考停止をすることができる。
占いの機能
占いではありませんが,世の中には何の意味があるのか良く分からない規則で溢れています.しかし,それを「そういうものだ」と思考停止して受け入れてしまう事によって,意志決定を行うための労力と時間を大きく節約することができるようになります.その意味では,「意味の分からない」規則もなくてはならないものです.
もちろん,いつも思考停止して受け入れておけば良いと言う訳ではありません.思考停止して受け入れると逆に膨大な時間と労力を必要とするような規則については,その意味を問う必要があるでしょう.また,そう言った事とは関係なしに,時には,いろいろな「意味が分からない」と思っていた事柄についてその意味を考えてみる時間も必要かもしれません.しかし,「そういうものだ」と思考停止する事もまた必要なことだ,と言う認識は持っておいた良いのかなと感じました.
時を経るにつれ、いままでわからなかったことがだんだんわかるようにはなってきている。でも、いまだにわからないなりに進めていかなければいけないことは多い。そんなときの技術として「意味不明であることの知」は、まだまだ有効な気がする。
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