インターネット上での個人への課金のあり方

インターネット上での課金に関する記事をいくつか見かけたので,今回は課金について.

だけど結局,ネットユーザの大多数はそれを選ばなかった。たった月数百円で快適なサービスを享受することよりも,邪魔でうざいアドセンスや広告やポップアップを取り付ける道を、ユーザ自らが選んだのだ。

nabokov7; rehash : 広告以外の道は

まず,上記の指摘は恐らく正しいと思います.多くのユーザにとって,blog 上の広告は「邪魔」とか「ウザい」と言う不満こそ感じる(声の大きいユーザは実際にその不満をぶちまけたりする)ものの,その不満の大きさは「お金を払って除去する」ほどのものではないのだろうと思います.

blog を含め,今の Web サービスは MMORPG の状況と似ているように感じます.どちらも,「いかに儲けるか」よりも「(有用性・楽しさを)いかに多くの人に広めるか」を重要視したため,多くのサービスは取りあえず無料でユーザに使わせると言う選択をしました.この結果,確かに多くのユーザにその有用性・楽しさを広めることには成功しましたが,同時にユーザに「無料で利用できるもの」と言う意識を植え付けることになってしまいました.また,似たようなサービスがいくつも存在しているため,少しでもお金を取ろうとするなら直ちに他に逃げられてしまうと言う状況も,課金制度へ移行することをさらに難しくさせています.

差異を視覚化しにくい現実社会

インターネット上のサービスは「基本的には無料」の姿勢を崩すことはなかなか難しいようです.そのため,何らかのオプションを有料で提供すると言う形を取ることが多くなってきました.

まずベタだけれど、「時間の短縮」はどうだろう。「無料でも手に入れられるけれども、時間を短縮するためにお金を払う」な感じ。誇りと関連づけるならば、「私は忙しいからお金を払う→忙しい私ってエライ」である。インターネットのコンセプトのひとつは「無限」だけれど、現実の人間は無限の時間など持っていない。このあたりをテコに考える方法。この場合、膨大な時間を持っている人は無視することにはなる。

http://kokokubeta.livedoor.biz/archives/51633480.html

MMORPG においては,アイテム課金と言う形でこの方法を取り入れています.例えば,RAGNAROK Online (私は,これしかやった事がないもので・・・)では,敵を倒したときに得られる経験値*1を 1.5 倍にすると言うアイテムが有料で提供されていますが,これが上記の「無料でも手に入れられるけれども、時間を短縮するためにお金を払う」をそのまま体現した形だろうと思います.

しかし,これと同様の事を現実世界で行おうとするとすると,なかなか難しい事が分かります.ネットゲーム上では,多くのものを数値化してユーザに伝えています.このため,その数値の変化から「時間の短縮」がユーザに直観的に伝わりやすく,これがユーザにアイテムを買わせる強い動機付けに繋がります.しかし,現実世界では「差異を実感させること」がネットゲーム上と比べて難しいため,ユーザに買わせるための動機付けに繋がりにくいと言う問題があります.

少し話が逸れますが,以前に DiffServ を始めとして,インターネット上の通信に優先度を付けよう*2と言う動きがありましたが,インターネット上において大きく普及することはありませんでした*3.この動きがコケた原因はいくつか存在しますが,その一つに「自分の通信が本当に優先されているかどうかが分からない」と言うものがありました.

このように,時間が短縮されるなど「他との差異」を売りにする場合,他と差が付いていると言う事実以上に,それを利用しているユーザに差が付いている事を実感させる事が重要な事項となります.これが,オプション的な課金制度が MMORPG などの仮想世界に比べて現実世界ではうまくいきにくい原因の一つだろうと思います.

インターフェースでの差異

「他との差異を付ける」場合,個人的には「インターフェース」が良いのではと思っています.ここで大切なのは,そのインターフェースが必ずしも「良いもの」である必要はないと言うことです.

一つひとつの機能(UI)を分析すると確かにWindowsに比べてMacintoshの方に分のある面も多いでしょう.しかしながら,多くの(Windowsを使い続けている)人は“使い慣れたWindows”と“不慣れなMacintosh”のUIを比較します.その2つを比較の場合には“使い慣れたWindows”にかなりの分があります.何故,これだけCPUの速度が向上したこのご時勢に,あんなに“使い勝手の悪い”キー配置のキーボードを未だに使い続けているのか,という理由もそこにあると思います.わざわざ使い慣れたUIを放棄してまで,また一からやり直すという人は,恐らくはあまりいないのでしょう.

何故,UIに対して特許を取るのか?そのUIが合理的で機能的に優れているからという理由で特許を取る場合も,もちろん多々存在しますが,それ以上に自社だけがそのUIを“使い続ける”ことによってユーザを慣れさせ,他のUIを適用した競合製品への乗り代わりを防ぐためである,と思います.

UI (User Interface) と慣れの関係 - Life like a clown

例えば,私は,「はてな記法」が好きなのではてなダイアリーを利用し続けていますが,私の周りから聞こえてくるはてな記法への評判は必ずしも良いとは言えません(どちらかと言うと,使いづらいと言う声の方が多いとすら感じます).「はてな記法」は,万人にとって,必ずしも優れたものと言う訳ではありません*4.しかし,この独特の記述方法にユーザを慣れさせる事で,ユーザの競合した他サービスへの乗り代わりを防ぐ効果が生まれます.この「性能的には大して差はないかむしろ劣っているのだけれども,でも他には移りたくない」と言う心理を芽生えさせる何かを提供する事が,ユーザへ課金する事の足掛かりになるような気がします.

インターフェースに限らず「万人にとって良いもの・優れたもの」は,よほど実装が難しいものでない限り,いずれは真似される運命にあります.そのため,「必ずしも良いとは言えないのだけど,慣れたらこれなしではやっていられない」とユーザに感じさせる何かを育てていくのが良いのかなぁと思いました.

*1:キャラクタのレベルアップに必要なもの

*2:データのダウンロードよりも動画のストリーミングの通信を優先させるような感じ

*3:今でも局所的には使われているかもしれませんが

*4:ソースコード貼り付け機能はかなり優れていると思いますが.