エクスペリエンスとは何か?

「エクスペリエンス」とは何か?と言う事が、何となく実感できた記事。定義等を詳しく調べた訳ではないので、あくまで私の実感でしかありませんが。

  • ユーザビリティの視点から見ると、直感的には操作できない。
  • エクスペリエンスの視点から見ると、操作した結果が直感的である。

言葉遊びのようだが、こういう表現が自分としてはしっくりきた。「万人が何となくで操作出来ること」と、「自分の思い通りになったような錯覚を伴う新しい操作感」は別物である。でもどっちも直感的だし、みんなが操作そのものに慣れてしまえば、両方を満たすことだって出来る。(前回の最後で「やっぱり私自身、WiiリモコンiPhone&Touchも直感的だよなぁ!と頭の別の所で納得しています。」と述べたが、これは後者の視点である。)

ユーザビリティとエクスペリエンスのバランスは、これからも新しいデバイスが増えるたびに、評価され続ける問題だろう。むしろ、ユーザビリティとエクスペリエンスの天秤は、太古の昔からあるわけで、非常に原始的な話に帰着した感がある。世の中に受け入れられないほどに行きすぎてもダメで、その上で陳腐でなく新奇であるギリギリのラインまで攻める。なんとも、先進機器の開発とは刹那的である。

直感的操作ってなんだろう? その2 ::ハブろぐ

上記では、「エクスペリエンス」を「自分の思い通りになったような錯覚を伴う新しい操作感」と言う言葉で言い換えていますが、個人的には、この言い換えで「エクスペリエンス」と言う得体の知れない(と思っていた)言葉へ抱いていたもやもや感が薄れたと言う気がしました。すなわち、昨今、宣伝文句としてよく使われる「エクスペリエンス」は、物理的な「体験」と言うよりは、その「体験」を通じて得られた「達成感」や「興奮」と言った類の感情を指しているのだろうと思います。

こう考えると、「エクスペリエンス」を達成するためには「誰しもが既に知っているもの」ではダメ(または、難しい)だと言う事が分かります。既にありふれたものを「体験」したとしても、多くの場合、そこから極度の「達成感」や「興奮」と言った感情を得る事は難しいでしょう。「エクスペリエンス」と言う言葉を日本語で言い換える場合、「これまでにない体験」とわざわざ「これまでにない」と言う修飾がなされる事が多いのもそのためだろうと思います。

その一方で、あまりにも奇抜なものでもダメと言う事になります。奇抜すぎると、そもそも達成できないか、あるは達成までに非常に多くの労力の要する事になり、「達成感」と言うよりは、「挫折感」、「徒労感」、「これがクソゲーか」と言った負の感情が先行しがちになってしまいます。

ユーザに対して、「今までに似たようなものを見た事はないのだけれども、でも、多分、こんな感じかなぁ」と言う程度の想像力だけで達成させる、と言う微妙なさじ加減が「エクスペリエンス」を提供するためにには求められるようです。

まったくApple製品に興味がないわけではなく、前にちょっと試しに触らせてもらったけど、操作方法がよくわからなくて困ってしまうケースも、けっこう多そうです。

そういう状態にあるあなたに、はまっている同僚が例によって軽い口調で、

「簡単なアプリですから、まあ直感的に操作してみてくださいよ」
(明らかに直感的に操作できてない自分。)
「プークスクス。おっと、失礼。ちょ〜〜っとだけ難しかったですかねぇ?」

Apple教、じゃなかった、革新的デバイス界における定番の「そんなことも即座に理解できないの?」的フレーズを発してきたとします。

「Apple信者」にその素晴らしさを熱く語られたときの平和で適当なかわし方 - conflict error

上記は、iPhone が本格的に普及し始めた頃に作成された iPhone (Apple) ユーザを揶揄したネタ記事(パロディ記事)ですが、あの時点でそう言った言動が目につくレベルで見られたのは、ユーザが、与えられた「これまでにない体験」に対して「達成感」を抱き、それがそのまま他者に対する「優越感」へと変わっていたためだろうと言う気がします。逆に、最近ではこう言った言動があまり目立たなくなってきている(と感じられる)のは、既に一般レベルまで広く普及し、もはや単純に iPhone を操作するだけでは、大きな「達成感」や「興奮」は得られなく(得られにくく)なっているためだろうと思います。