人生における教訓はアダルトビデオの中にさえ眠っている

私が、技術系以外の話で物事の考え方等に対して大きな影響を受た Web サイトの一つである、故 Simple -憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々- ですが、このサイトの中で一番印象深く記憶に残っているのは、以下の一文だったりします。

私は今のところは結婚するつもりはない。しかし、もし明日、松浦亜弥に「結婚してください」と言われたら、結婚するだろう。そんなもんだ。

子どもに見捨てられるリスク - 憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記

私自身は、松浦亜弥さんには特に好きとか嫌いと言った感情はないのですが、(言い方は悪いですが)この一文から感じられる「適当さ」が何故か非常に印象に残りました。自分の中での「恋愛観」や「結婚観」と言うものを大きく変えたのがこの一文と言うのは、我ながら不思議な気もします。

もっとも、仮に、10 年前に上記を読んだとしても特に何の感想も持つ事はなかっただろうとも思います。私の 20 代は、特に前半から半ばにかけて「生き急いだ挙句、挫折して方々に迷惑をかけた」と言う苦い経験をしたので、その反動もあってか、ひとまず落ち着いた 20 代ラストの頃からは「適当に生きる」が自分自身における人生テーマの一つとなっていました。そう言った頃に読んだと言う経緯もあるので、この一文が自分に刺さったのはタイミングによるところが大きいのだろうと感じます。

記事のタイトルは、確か、どこかの(多分、アダルトビデオを売っている会社)社長が新聞記事か何かでしゃべったものと記憶しているのですが、残念ながらソースを探す事は出来ませんでした。意味的には「人間万事塞翁が馬」に近いのかなと思いますが、語感等の関係で気に入っている言葉です。

人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。

人間万事塞翁が馬 - 故事ことわざ辞典

普段、何かしらの物事を行う際には私自身も「効率」や「コストパフォーマンス」と言った点をよく気にするのですが、自分の人生を振り返ってみた場合、プラスに働いたものと言うのは、それらの概念とは程遠い何かである事が多々存在しました。これは「一見無駄とも思える努力でも、長期的な目で見ればきっと役に立つ」と言った意味ですらなく、「関係ない事をやっていたら、関係ない所でプラスになった」のような感じで、本当に「人生、何がプラスになるのかまったく分からない」としか言えないと言う感想をよく抱きます。

もっとも「だから、好き勝手に生きていれば良い」と言う結論に結び付けるのは乱暴で、結果はどうあれ、「効率」や「コストパフォーマンス」みたいな事はある程度意識しながら日々を暮していくべきかなぁとは感じているのですが、その一方で、元々の出不精な性格に加えて加齢の影響もあってか昔よりもさらに行動範囲が狭くなっていってる感があるので、その辺のバランスをどう保っていくのかは難しいテーマの一つです。