批判文の難しさ

本筋とは関係ないですが,のまネコ問題を通じての感想.

趣味のWebデザインというサイトで,のまタコ黙認(=大人の判断)を期待したいというテキストが書かれていました.このテキストでは,両者を大人とコドモに分類して大人の擁護に回った論調で書かれています.私は,(もともと2ちゃんねる側の主張を擁護気味だったのもあり)このテキストに対しては,強い反感感情が沸きました.

この方も後のテキスト(三方一両損ではつまらない)で触れられている通り,のまネコ問題は価値観対立なので、じつのところ、何が妥当かという判断は、各人の拠って立つ文化に依存します。それにも関わらず前者のテキストでは,2ちゃんねる側の主張に対して,コドモというレッテルを貼り,ある種の軽蔑の念を向けて主張を展開したところに問題があったのではと思います.このような態度で書かれると,私もこころはどこにゆくのか?という方と同様,相手をコドモ、自分を大人、と名づけたからといって、自分の正しさが証明できるわけでも、相手の不当さの根拠にできるわけでもない。「大人」という言葉は何ら免罪符ではない。という反論に達してしまうと思います.

前にも少し書きましたが,批判的な文章はその考えに賛成できる方以外には,あまり良くない印象を与えます.そして,そこに筆者のネガティブな感情が入ったときにはその印象の大きさは,より大きなものとなります.

批判的な文章を書く際(しかも,自分の主張に納得してもらうため)には,できるだけ個人的な(負の方向の)感情は排除するべきではないかなと思います.