ヒトがオタクへ変わるとき

オタクは遍在する――NRIが示す「5人のオタクたち」という記事が興味を引いたので今日はそれについて.

オタクはアキバ系だけじゃない

元の記事では,オタクは「アニメ」や「ゲーム」だけではなく,「旅行」や「ファッション」などの様々な分野に存在すると書かれてあります.私も,これは正しいと思います.「アニメ」などの分野でなくともオタクだなぁと思わせるような人は多々存在しています.ただ,NRIオタクの定義は時代とともに変化してきたという主張には,少し疑問が残ります.

1980年代はアニメやコミック、SF好きにオタクが限定されていたが、1990年代になってPCやゲームなどファン層が重なる分野にも拡大。外見やコミュニケーションの独特さなどがオタクの定義の基準だった。


(中略)


最近は「電車男」や萌えブームなどの影響で、オタク像の「原点回帰」が見られるとはいえ、オタクはすべての趣味分野に存在するというのが同社の考え。今回定義した12分野以外にもあらゆる分野にあてはまるとしており、オタク像の再定義が必要としている。

これは,本当なのでしょうか.

オタクとは

オタクについて述べる前に少し.


元来趣味というものには,それそのものを楽しむという目的以外に他人(ここでは,その同じ趣味を共有している以外の"一般人"を指す.さらに言うならば,それは往々として異性となる)に自己アピールをするための手段という側面も持っています.人は,自分の凄さやかっこよさ等を自分の趣味を通じて他人にアピールします.


そして私は,オタクとは,この類のアピールを放棄した人ではないかと思います.


最初は,どんな人でも自分の趣味の良さを"一般人"に伝えようとします(ハナからしない人もいますが).そして,その趣味が「ファッション」や「音楽」などである場合には,比較的"一般人"にもすんなり受け入れられます.しかし「アニメ」などの場合は,それがなかなか難しい話となってきます.どんなに頑張って「ガンダム」の良さを伝えようとしても,"一般人"には,その光景はやはり異様に映ります.こういった人は,そのうち自分だけ(あるいは,同じ趣味を共有する人の間だけで)楽しめればそれでいいやと思うようになり,自己アピールを放棄するようになります(同じ趣味を共有する人達に対しては行うでしょうが).その結果,"一般人"との溝はさらに深くなり,最終的に「オタク」と見なされるようになります.


こういった現象は,「ファッション」や「音楽」などといった比較的"一般人"にも受け入れられやすい分野では起こりにくいものです.しかしながら,ファッションや音楽でもあまりに奇抜になってしまったり,のめり込むあまり"一般人"にアピールすることを忘れてしまうと同様の現象が発生します.どこかの掲示板で,「サッカーのサポーターと野球の応援団は、ヲタクにしか見えないんだが」とか「HIPHOPとか、かなりのオタクかと思うんだが」という意見が書き込まれていましたが,その意見は正しいのではと思います.


最後に,こういった("一般人"から見たそういった類の人達への)感覚は,今も昔も変わっていないのではないかと思います.昔の時代にも,他人には理解できないような熱狂的な野球球団のファンや奇抜すぎる服装をしている人などは存在していましたから・・・そういった意味で,オタクは今も昔も変わっていないのではと思います(ただ,そういった人達をオタクという言葉に関連付けるために再定義が必要と言われるとそうなのかもしれません).


そういう訳で,私の結論.
他人にアピールすることを放棄したとき,ヒトはオタクへ変わる