論理的?屁理屈?

なかなか面白かったので,紹介してみます.

「感情論」や「屁理屈」がなぜ反対者への説得に効果的でないのかというと、論理に誤りがあるからではなくて、前提条件への同意が得られないからです。もっと書けば、「感情論」とか「屁理屈」といった呼称は、(多くの場合)前提条件に同意できなかった人々が、気に入らない主張に貼るレッテルに過ぎない。

・・・(中略)・・・

全ての材料を最初に提示しておくのは難しく、また相手の語ったことだけを議論の材料としていくことも難しい。お互いに手探りで意見を詰めていく過程で、「言い訳をするな」とか「後出しジャンケン」といった批判を始めるのは感心しません。相手の主張には論理的整合性があると予想し、柔軟に想像力を働かせながら、お互いの言葉の隙間を埋めていきたいものです(これが難しい)。

すると最終的に、議論の焦点は価値判断の差異か、ある事実の有無に帰着します。

事実の調査はともかく、ここで「価値観は人それぞれ」といってしまうと合意は永遠に得られません。もし結論が必要ならば、「私はこう思う」ではなく「あなたも私もこう思う(よね?)」といわなければならない。議論が「常識」争いとなりやすい所以です。

http://deztec.jp/design/06/06/06_logic.html

そう言えば,過去の経験談ですが,このエントリを読んでいて(中学だったか高校だったかは忘れましたが)学生時代の先生と生徒のやり取りを思い出しました.それまで学校内でよく,“個性が〜”みたいな話がいろいろと語られていました.そこである時,服装とか髪型などで注意された際に,“校則には触れてないだろう.これだって,立派な個性じゃないか.”みたいな反論をした生徒がいまして,その時に“屁理屈を言うな!個性と自分勝手は違う.”と一蹴されてその生徒は散々説教を食らっていました.

この出来事が結構頭に残っていまして,“個性と自分勝手が違うのは分かるが,その線引きはどうするのだろう?”とか“先生が言ったことも屁理屈に聞こえたのだが,理屈と屁理屈の差は何なのだろう?”とかいろいろと疑問が残ったままだったのですが,一つの解になるのかなと思いました.