差別に含まれる金銭的価値

顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える:黒人や障害者、被差別部落と売春婦蔑視を一緒にするな、という発想。まさにそれこそが差別。差別とはそもそも「差異を理由に」生じるもの。から.差別問題もなかなか難しいところですが.

風俗嬢は社会的に望ましい職業とはされていない。たとえ自分自身誇りに思っていても、それを他者に対して堂々とアピールは出来まい。偏見のまなざしを向けられ、汚名を着せられることもある。

・・・(中略)・・・

だが、非難されるがゆえに、他の労働と比べて高額な報酬を得ることができる。風俗産業に対する偏見や他の職業と比べて高いリスクがあるおかげで、市場へ参入する女性は減るからである。そして高収入だからこそ、風俗産業が成立するのであろう。

もしも偏見が無くなって、健全とみなされる福祉の一種のような職業になり、収入が激減しまうことは、風俗嬢にとって望ましいことではない。

・・・(中略)・・・

(男性側から見れば、偏見を失くすことで女性を安く買えるようになる。果たして女性側にとって望ましい社会とはどっちだろう?)

http://simple-u.jp/pdone.php?id=608

元のエントリでも少し指摘がありましたが,風俗嬢など差別や偏見があるおかげで高収入を得ている人々が存在します.つまり,差別を金銭に交換している人々が存在する訳です.余り多くの例は挙げませんが,こういった人々にとっては差別は必要なものであり,それ故,“差別はされたくないがなくなってもらっても困る”と言うジレンマを抱えています.差別問題が,“差別などこの世から全てなくなってしまえばいいのに!”と言う程単純な問題ではないのは,この辺りに起因しているのだろうと思います.

もちろん,元のエントリにも書かれてある通り,ここを拠りどころとして“だから差別してもよい”とは決してなりませんし,個人的にはいかなる理由があれども自分が差別する側に回るべきではない,と思っています.ですが,先にも述べたように,なくせば良いという程単純な問題ではなくなっていることは理解しておいた方が良いのかな,と思います.

いかなる理由があっても差別はすべきではないが,差別されているという事実は必要とされている.このような矛盾を抱えたまま世の中は回っている,と.誰も彼ら(彼女ら)を差別なんかしていないのだけれど,何故かみんな彼ら(彼女ら)は差別されていると思っている,という状況が一つの均衡状態になるのでしょうか.