この辺りを眺めながら、ふと「なぜ Twitter 疲れが話題になるのにこんなに時間を要したのだろう?」と疑問に思いました。
【起】「Twitter依存症なんです」―コミュニケーションサイトで人生が変わった27歳女性
Twitterはmixiの影を踏むか? - べにぢょのらぶこーる
【承】 Web2.0時代の“脆弱性”――ヌイッターはなぜ広まったか
【転】「Twitter疲れ」を心理学から考える
【そして伝説へ】「Twitter言い逃げ」ってダメなの?
上記は、当時 mixi で問題になっていた事を Twitter に当てはめたネタ記事 (2007/04/18) だったのですが、個人的には数ヶ月くらい後には上記のような問題提起を行う記事が活発に取り上げられるんじゃないのかなぁと思っていました。しかし、実際には取り立てて大きな話題にはならずに、RT チェーンにしても Twitter 疲れにしても実際に起こった問題として話題になったのは 2009 年に入ってからでした(Google 「twitter 疲れ」、kanose/Twitter 辺りをざっと見た限りですが)。
RT チェーンに関しては、「リテラシーの差」で論じる事もできるように思います。しかし、Twitter 疲れに関してはもっと前(イノベーター、アーリーアダプターと呼ばれる人達のみで構成されていた頃)から噴出していても良かったのではないか、と言う疑問が晴れません。
「取りあえず顔見知りをフォローしよう」と言う地雷
今のところ、これまで使ってたユーザと今年の流行で使い始めたユーザとの間で差が大きいのは「まず始めに、顔見知り(ネット外で実際に会う人)を取りあえずフォローしてしまう」と言う部分かなぁと感じています。
その流れで、「微妙に身近」な人もtwitterをはじめた。仕事関係の人も、旧友も、嫌いな人もtwitterを始めた。自分の嫌いな人が和気藹々としているのを見ると、ちょっと嫌な気分になった。仕事でしかつきあいのない年長の人がはっちゃけているのを見ると、見てはいけないものをみてしまったような気分になった。twitterの発言が炎上しているシーンをみかけることも増えた。なんだか、場所が「薄まった」ような感じがした。
ある女の「twitter疲れ」(増田風) - 荻上式BLOG
アーリーアダプターと言うかネット上で活発に活動している人達は、顔見知りなんてのがそもそもいないどちらかと言うと、実際には会った事のない人達とのやり取りの方が多い傾向にあります。この類の人達とは、接点はネットのみなので、ネット上での交流を断ってしまえばその時点で関係はほぼ切れてしまいます。そのため、「面倒になったらリムーブ」と言う Twitter でよく言われる原則が実行しやすい状況にあります。
一方で、今年 Twitter が流行した事によって始めた「一般人*1」は、「まず顔見知りを探してフォローする」と言う行動パターンを取る傾向が(それまでのユーザに比べて)高いように感じます。
誤解を恐れずに言うと、「顔見知り」と付き合うのは面倒です。面倒になったからと言ってすぐに関係を断つのはなかなか難しいですし、自分の趣味・趣向を見せてしまうと付き合いづらくなる「顔見知り」も存在します。「顔見知り」との交流も大切な事ですが、その交流範囲はある程度絞っておいた方が無難です。
そんな訳で、私がこれから Twitter 始める人に何かを伝えるとしたら「わざわざ自分から顔見知りを探してフォローするのは結構リスクの高い行為である」と言った事かなぁと思いました。
他にもいろいろ原因はありそうですが、「何故 Twitter 疲れが表面化し始めたのが(2年前ではなく)今なのか?」と言うのはしばらく考えてみたい事柄だなと感じています。