「コクリコ坂から」を見てきた

酔いに任せて映画の感想などを書いてみる.

コクリコ坂から

私自身は,映画の感想は大概「面白かったー☆」って感じで批評もクソもないような人なのですが,一緒に見に行った人としゃべってると「耳をすませば をマイルドにした感じ」と言う感想で,確かに,あれに繋がる恋愛的要素は若干あるけれども,登場人物の人間関係もあってかあそこまで鬱アニメと言う訳ではないマイルドな感じでした.

さて.個人的に凄く興味を引いたのはサークル棟?の存続を巡る学生運動(っぽい)の描画でした.

想像するには、60年代はまだまだ日本社会は未成熟で「こんなんじゃだめだ!ぼくならこうするのに!」といくらでも思える余地があったのではないかと思う。それはきっと50年代はもっと顕著だったのではなかろうかと。だから、エネルギッシュであることがまず大事で、実際そのエネルギーは日本を確かに変えていった。

一方、今のように完成度の高い社会システムの中に生まれてみると、自分の内面から生まれる世界では、この世界に対抗するのは厳しいと感じる。「自分だったらこうするのに」と思える余地があまりない。圧倒的すぎて、世界を受け入れるしかないのではないかと思える。一分の遅れも許されない鉄道システム。大地震にすら耐える建築物。これ以上のものを、どうやって実現したらいいのか。細かいツッコミはできても、大枠の設計を崩すのはリスクが大きすぎる。正直、相互が絡みすぎて複雑になりすぎている。

「コクリコ坂から」ゴローちゃん命綱繋がったんじゃないか - 西岡Blog

今年の 3月(具体的に言うと東日本大震災による原発問題)以降,Web 上の動きにもいくらかの変化が見られ,Web 上での問題提起や鬱憤がそこ(Web 上)で留まらずにデモ等の形で現実世界(オフライン)にも比較的目に見える形で表れるようになってきました.フジテレビ問題にしても,これまでの 2ちゃんねるのどこかの板を中心とした「祭り」で収まらずに数千人規模のデモにまで発展したのは,そう言った Web 上での空気の変化もいくらか影響しているのだろうと感じます.

そして,私自身は,そう言った Web 上の微妙な変化を一言で言うと「困惑」と言う目で見ていました.「迂闊に変なことを口走っただけで厄介事に巻き込まれそう」な感じの不安とともに,果たしてこう言った Web 上を始めとした流れに対してどう接すべきか決めあぐねながら,多くの事例はできるだけ無関心と言う立場を取っていました(います).

田原総一朗:脱原発の風潮は60年安保闘争に似ている(1/7ページ):nikkei BPnet 〈日経BPネット〉 辺りを読んでも思った事ですが,今,Web 上でも起きつつある変化をどう捉えるべきかを考える際に,60年代頃から起こった学生運動がどうであったのか(当人達や周りの人達の心情等),また,あの頃を経験した人達が今起きつつある流れをどう見てるのかは見聞きしておきたいなと感じました.そう言った意味で,多分に脚色されているであろうと言う点を考慮しても,あの頃の空気を少しでも感じられたのは良かったなと思います.

これを見たからどうこうと言う訳ではないのですが,これから起こるかもしれない世の中の変化への判断材料の一つとして,見ておいて良かったかなと感じました.