「お前が言うな」問題

個人にしても企業にしても、「お前が言うな」と言った類の主張に遭遇する事は多々あります。一方で、「自分の事を棚に上げて何かを主張する」事も時に必要となってきます。この事(自分の事を棚に上げて何かを言う)が必要なケースとして、例えば、「マネージャ職にあるような人が任務・プロジェクトの遂行のために必要だから」と言ったものが挙げられます。

マネジメントをする際は、プレイヤー時代の自分がそれをできたかできなかったかは、「棚に上げ」ねばならない。そして、その人がミスを修正するためにどうすべきか、を自分の立場から毅然と導くこと。「ボクができなかったのに、無理言っちゃってごめんね」といった態度は、誰にも益をもたらさない。自分の心苦しさを回避しているだけだ。

多分彼らの心境としては、「自分ができないことを指導しても、説得力がないのではないか」といった気持ちが半分、「できなかったことを相手に求める自分がイヤ」という気持ちが半分だと思う。それ自体は自然な感情だ。

けれども、それとは別に、「自分はマネジャーとして指導するのが役割である」という柱が一本通っていれば、言い方は変わってくるだろう。

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他には、何らかの問題に対して議論するために自分の事はいったん棚に上げて問題点を言うと言ったケースも考えられます。Web 上で見かける光景としては、これが最も多いのではないかと思います。

「自分の事を棚に上げて何かを主張する」事例で、(読者、聞き手に)「お前が言うな」と言う感情を抱かせないために必要な項目を少し列挙してみます。

  • 問題解決のために必要な指摘である事
  • 指摘した事項が周知の事実でありふれている場合、何らかの「解決のための新規性」が見られる指摘である事
  • 「自分の事を棚に上げている」と自覚している事

ここ最近では、とある事件の加害者、被害者の扱いに関してネットメディアが既存マスコミを批判した際に「お前が言うな」と言うコメントが目立っていましたが、これは「そんな指摘は今更感が強いし、問題解決のための何のアイデアも示してないし、お前自身に改善する兆しも見られない」と言う感情が要因となっているのではないかなと感じました。

「お前が言うな」と「投影」

「自分の事を棚に上げる」と言う行動に対しては、心理学の方で「シャドウの投影」と言う話があるようです。

自分より強い立場の人にはっきりと物が言えない人は、おとなしい人をみるとイライラします。また、思春期の学生が「性的なあだ名」を他人につけてしつこく言うことがあります。彼らが自分のことを棚に上げて相手を非難するのは、「投射(とうしゃ)」(「投影(とうえい)」ともいいます)という自我防衛の心理からです。

自分の欠点や、コンプレックスをそっくりそのまま他人に移し替えて、まるで相手の欠点であるかのように見なしてしまうのです。そのうえで相手を非難することによって精神の安定を得ようとするのです。自分に対する憎しみが内に向かわず(自己嫌悪(じこけんお)とならず)、他人に対する憎しみとして、外に向けられています。

相手を非難している間は「自分はそうではない」と思うことができます。自分の罪悪感を軽減するほか、「あいつ(発言者)も同じじゃないのか」という周囲の疑いから身をそらすために必要以上に発言が攻撃的になります。こういう人に「あなただって人のことを言えないじゃないですか」などと反論すると、コンプレックスを刺激された相手は激怒します。

いじめ

「同族嫌悪」と言う言葉にも近いものがあるように思います。ニュースサイトや各種メディアは「儲ける」ためにやっているのでこの話とはずれるでしょうが、個人が「お前が言うな」的な主張している場合は、これに当たる事も多いように感じます。