一括りにせず適切な大きさで区分する事の難しさ

本題から外れている気がしますが、以下の記事を読んで、ふと思い出した話。

本来は一言で「SNS」と言っても、趣味嗜好で繋がるもの、業界人同士で繋がるもの、友達同士で繋がるものといった「目的毎のSNS」が成立することが可能であるにも関わらず、常にTwitterFacebookと比較され続けたミクシィ。匿名の空間で古くからの友人とだけ繋がる、あるいはコミュニティの友人と繋がるSNSとして、実名主義Facebookとは異なる空間がそこにはあった。しかし、常に「SNS」という括りで国産SNSとして戦うことを「メディア」に求められ、両者の機能を後追いしてしまった結果、ミクシィらしさが失われてしまっていったように、一ユーザとして思う。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/ohmototakashi/20131109-00029639/

上記記事の一節において、実際には Web サービス毎に異なった特徴があるのだから「SNS」と言う単位で一括りにするなと言う趣旨の批判がなされていました。これに関してはそうかもなぁと思う一方で、ブックマークコメントでも書いたように、そう言った批判を行っている当人が、批判対象については「メディア」と言う非常に大雑把な単位で一括りにしている辺りにこの問題の難しさが見て取れます。

昔、この問題を考える材料として、以下のような図を作成した事があります。

関係図

一言に「MMORPG」と言っても実際には数多くのタイトルが存在し、それぞれの文化も微妙に異なります。しかし、「MMORPG」と言うジャンルのゲームをプレイした事のない人にとってはそう言った違いは分からず、また、大した差ではないと感じてしまいます。「MMORPG」と言うジャンルのいずれかのゲームタイトルをプレイしている人にとっては、「MMORPG」と一言で言ってもいろいろある事は何となく理解できますが、自分が未プレイであるゲームタイトルの文化等については良く分からないので、そうしたものについては「該当ゲームタイトル単位」で一括りにしてしまいます。

ある比較的規模の大きいコミュニティを考えた時、当事者であれば「コミュニティの中にもいろいろある」と言う事は分かるのですが、その違いをそのコミュニティの「外側」の人達に伝えるのはなかなか難しいと言う問題が存在します。あるいは、内部事情を知っているが故に細かく区分していたが、実際にはそれらの差は(当事者が考えている程)大したものではないと言う可能性もあります。

原則論としては「詳細も分かってない奴が、興味半分で首を突っ込んで何かを言うな」と言うのはそれなりに正しそうです。ただ、実際問題としては、何らかの現象がコミュニティ外にまで影響を及ぼすようになり、その結果、外部からの観測で分かる範囲で何かを言う(書く)と言う事例も多いのではないかと予想されます。そう言った時に、「どの単位で一括りにするか」と言うのはなかなか難しい問題のように思います。