コミュニケーション能力

ここ数年、コミュニケーション能力が大切とステレオタイプに叫ばれています。就職活動などの目的でセミナー、講演会に赴いた場合においても、かなり高い確率で企業側は必要な能力の一つとして「コミュニケーション能力」を挙げてきます。しかしながら、これだけ叫ばれているにも関わらず「コミュニケーション能力」の定義に関しては、はっきりとしていません。そこで、今回はコミュニケーション能力とは何かについて少し考えてみようと思います。

はてなキーワードでは、コミュニケーション能力(スキル)を以下のように定義、説明しています。

対人関係を円滑に進める技術を指す。「相手の信頼を得る技術」ともいえる。ビジネス書で使われることが多い。

コミュニケーションには「読む」「書く」「話す」「聞く」があるが、「コミュニケーションスキル」においては、「話す」「聞く」といった電話や対面で行われるリアルタイムでのコミュニケーション技術を指していることが多い。

「聞く」では、相手が言っていることを理解するのは前提条件だが、相手が口に出してない感情や思考をうまく推測できることが求められる。「空気を読む」と言われたりもする。

また「話す」では、一方的に自分の話したいことだけを話すのではなく、相手の要求を的確に把握し、提供することが求められる。相手が直接言った要求に応えるのは誰にでもできることで、「聞く」で触れたように、相手が言語化してない要求を把握することが特に重要である。

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はてなキーワードでは、コミュニケーションに必要な能力として察する能力、空気を読む能力を挙げています。しかしながら、ここで一つの疑問が浮かびます。(少なくとも、企業が)コミュニケーションの重要性を声高に主張し始めた理由の一つとして、日本人以外の人とうまくコミュニケーションを行う必要性が出てきたからという事が挙げられます。実際、セミナーや講演会でも

インド人から見た日本人の印象について統計データを取ってみたところ、コミュニケーション能力に乏しいという認識が突出していました。だから、当社ではコミュニケーション能力の高い人を探しています

と言った類の話をする人も数多く存在します(特にインド人である必要はない)。しかしながら、上記の要求を考えた場合、空気を読む能力がコミュニケーション能力に必要であるとは考えられません(むしろ、邪魔になる)。空気を読む能力とは、会話の場に社会的慣例を当てはめて、全てをしゃべらせずとも話し手の意図していることを読み取る能力であると言えます(参考:中島義道 「語らない美学は人を損なう」)。しかしながら、海外の人とコミュニケーションを取る事を考えた場合、そもそも社会的慣例の共有が成されていないため、空気を読むことは不可能です。

実際、海外の人とのコミュニケーションを行うことを考えた場合、必要な能力は先の定義とは大きく離れたものとなります。

外国人と日本語で話すJNJコミュニケーション8原則

  1. 目的と手法を明確に伝える
    判断基準となる原則を提示し何を、どうやるかを簡潔に共有しておくと、相手の理解がいったんぶれても、戻ってくる可能性が高くなる。
  2. 主語や代名詞を明確にする
    日本語の中に「私が」「貴社が」「誰が」などを挿入していくこと。主語などをあえて言葉に出す。初めに主語を明確にするだけでも相手の理解スピードがアップする効果がある。
  3. 締め切り期日など、数値での設定をする
    客観性を持った推知を表示できる場合はできるだけ数値設定をする。
  4. 日本語のニュアンス
    イントネーション次第で、意味の変わる単語の使用は極力避ける。やむを得ない場合は、追加で、具体的な内容を明確化しておく。
  5. カタカナ語・外来語の使用に注意
    IT用語など専門用語であっても、カタカナ語は「日本語発音の英語」になっている場合がほとんどなので、使用する場合は英語発音を意識すること。
  6. 単語の定義づけ
    キーワードについては、その単語の定義づけを事前に共有しておいた方がよい。
  7. 打ち合わせなどの結果はメモにして確認
    一般的には遠慮などせずアグレッシブに見える外国人スタッフだが、実はシャイで質問などを遠慮する人物も多い。メモにすることで、質問や確認をしやすくする効果がある。
  8. 1つの長文より、5つの短文
    時間・量ともに1文1文を短文に切って話す。
日本人ITエンジニアはいなくなる?(7)

すなわち、私たちは正反対の性質を持つ(とまではいかないかもしれないが、かなり性質の異なる)ものを一つの「コミュニケーション能力」という言葉で言い表していることになります。

とくに注意しなければならないのは、両者がどれくらい情報を共有しているかです。情報の共有が少なければ、話の内容は詳しく説明しなければなりませんし、共有が多ければ、説明は非常に簡単になります。また、そのような場合は、両者のみしか知らない特殊な用語や言い回しも頻繁に使用されます。前者のコミュニケーションは、低コンテキストコミュニケーションのアメリカで顕著で、後者は高コンテキストコミュニケーションの日本でよく行われています。

http://www1.doshisha.ac.jp/~kkitao/japanese/library/article/comm/1.htm

「コミュニケーション能力」に関しては、その必要性が叫ばれているせいもあり様々な議論が行われています。しかし、そういった議論を行う際には、まず始めに「コミュニケーション能力」が何を表しているのか(少なくとも、日本的な「察する能力、空気を読む能力」を表しているのか、欧米的な「客観的事実のみを基にして議論、会話を続ける能力」を表しているのか)についての意識を統一する必要があるのではないかと思います。