コードへの愛着心

geekDataBaseは、私が初めて長期にわたり開発してきたサービスです。
プログラミングの学習もさることながら、何よりギークの魅力を広く伝えたいという思いから、
手探りながらも大切に育ててきました。
子育ての経験はありませんが、ささいな成長から思い通りに動かないもどかしさも含めて、わが子同然にすべてが愛しく、本当に思い入れのあるサービスです。

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印象に残った記事.以下は,あくまでも私の話ですが.

書き捨てのコードだとそうでもありませんが,何らかの形で世にリリースしたり仲間内で共有したりして,ある程度長い期間付き合っていく事になるコードに対しては(付き合う長さと比例して)自然と愛着が沸いてきます.何らかの問題に対してスマートな解決策(拡張するためのコード)を示せたときには「このコードは出来る子」と悦に浸ってみたり,逆に不恰好な形で凌ぐしかなくなったときは「こんなはずじゃなかったのに・・・」と絶望感に打ちひしがれます.その様子は,さながらわが子の成長を見ている親のようだなぁと感じます(親になった事がないので,本当かどうかは分かりませんが).

拡張性を持たせるため,保守性を高めるため,など様々な理由の元で私は(多くの他のプログラマも恐らく同様でしょうが)何度もコードの修正を行います.もちろん,これらの理由は事実であり,それらを解決するためにコードを修正する訳ですが,そう言った表向きの理由とは別に「不細工なわが子(コード)を少しでも良く見せたい」と言う口には出せない感情が根底にはあるような気がします.

この類の感情(愛着心)をコードに抱くことには不安も感じます.愛着心は,時に人を盲目にします.いつかそう言った感情が,何らかの重要な選択を迫られたときに見誤るのではないかと言う不安に駆られる事がよくあります.残念ながら現状では,そう言った不安に対してどうすれば良いのかは分かりません.ただ,これからも愛着が持てるようなコードを書き続けられる(環境に居られる)と良いなぁと思いました.

こう言う話をすると大抵引かれます.